時は西暦2000年。私の中のアイドル業界はSPEEDの解散を持って終焉を迎えた。

『伝説が壮絶に終わる』いや、確かに終わったのだ。

私は寂しさを紛らわさせる為に、仕事から帰ると夜11時からネットを使って片っ端から様々な情報を探っていた。
(2000年当時のネット環境は今現在のように24時間無料ではなく、夜11時から無料となっていた)

確かにハロプロの一人勝ちの時代ではあったが、どうしても事務所の“世襲制”みたいな制度に馴染めずに、わざと捻くれて別のアイドルもしくは音楽ユニットとして活動しているところを探していて彷徨っていた。

結局強烈な歌詞と音楽性に惹かれて「鬼束ちひろ」に没頭していたのもこの頃だったなぁ。

確かに「COLOR」「Folder5」「ハレンチパンチ」そして「Perfume」にもすれ違っていた記憶はある。「Negicco」もその中のワンユニットでした。

私は音楽的な好みで、たまたま“B級テクノアイドル(汗)”に興味を持ってしまったのだが、もしもこの時代にPerfumeがいなかったら…いや、そもそもSPEEDが解散しなかったら、ここまで他の女性ユニットの活動自体に興味を持っていたかどうか全く分かりません。

とにかくPerfumeなどまだまだ一部の人しか知らない時に、東京に拠点を置いたPerfumeとは異なる環境で地元新潟で活動されているNegiccoさんには驚いた事がある。

正直にいうと「ヒストリーがPerfumeよりも壮絶…。Negiccoさんの例もおるし、Perfumeも頑張って行ける…のかな?」的な見方をしておりました。確かNegiccoさんの方が活動期間が長いと思っていましたし、東京には出て来たけどPerfumeも地元広島を背負ってきてるし。

ただ、周りとは明らかに違う独自路線をいく活動自体が“武器”となって、どこかのプロデューサー様や企業の社長さんや広報の担当者様に「見つかって」欲しいとは願ってはおりました。

だって、ファンから楽曲提供なんて、どこまで愛されているんじゃろう?の愛され方は羨ましい限りです。

だからこそお互いのファンに支えられてここまで活動を継続してくる事が出来たPerfumeとNegiccoが同じステージで“再会”出来た奇跡こそが、この日本の芸能界としても輝かしいヒストリーとなる訳ですよ。

私はPerfumeファン陣営として、ファンに心から愛されている二つのユニットの“再会”をそれこそ心の底から祝福すると共に、心と眼に刻み込みたいと思います。

Negiccoファンの方々、Perfumeファンの方々、本当におめでとうございます。