昭和の人間はみんな苦しかった。戦争のツケを払わされた世代でもある。

俺のかあちゃんは昭和15年生まれ。戦争が始まる少し前に生を受けた。

周りはみんな貧乏なのが当たり前の厳しい戦後の時代を生き抜いて、それこそ朝から晩まで必死に働いた。家は貧乏。女性は大学はおろか高校さえ行かせて貰えなかった時代。みんな生きていくだけで必死な時代だった。断っておくがおかあちゃんは成績は優秀だった。でも行かせて貰えなかった。次女だから。ただそれだけの理由で。

親父の試作板金業を手伝って、忙しい時はむさくるしい男達に交じってきつい鉄骨溶接の仕事をこなしたりもしていた。

親父の匂いは“Perfume”の匂いではなく鉄の匂いだった(笑)いつも鉄の匂いがしていた。俺はそれが誇らしかった。

でも俺の家では、かあちゃんからもその鉄の匂いがする時もあった。他の家のおかあちゃんは良い匂いをさせていたが、俺は逆にそれが誇らしかった。

俺は鍵っ子だった。ボンクラだったからたまに家の鍵を家に忘れておかあちゃんの働いている板金工場まで取りに行く事もあった。

そこで汗にまみれて必死に働いているおかあちゃんを見た。下町の板金工場なんてブリキの屋根で雨風を凌いでいるだけの大型扇風機しかない粗末な建物の中でサンダー(電動やすり)で鉄を磨いていた。

「アンタまた鍵忘れたんか?アホやなぁw」そう言って鉄粉で赤茶けてどろどろになった手から鍵を受け取って俺は自宅に帰っていた。

鍵はおかあちゃんの手から付いた鉄粉で真っ赤になっていて、鍵穴に差し込むと「じゃりっ!」と音を立てながら開けていたのを…今、思い出した。

俺はその鍵の匂いを嗅ぐのが好きだった。それは親父の匂い。それはおかあちゃんの匂い。

おかあちゃん。今だから言うよ。俺、本当はあん時、鍵持ってたんや。

働いているお父ちゃんとおかあちゃんの姿を見たかったんや。俺は働いている二人の姿がとても誇らしかったから。

≪苦労苦労で死んでった 俺のかあちゃんは鉄の匂いがしたんや≫

俺のおかあちゃんこそ世界一