番組を見て、過去の両親を、自分の変化を思い出し、激しく喜怒哀楽が爆発した。
母、父はあの時、まさにこういう表情をしていた。
言葉に出さずとも、全身からその思いが溢れ出ていた。
ああ、どうして私はあの時、残酷な言葉を投げつけてしまったんだ!
後悔が涙とともにあふれ出す。
あの時は本当につらかった。
でもそのつらさは、エゴだった。
なんて醜いエゴだっただろう!
などと。
 
そんな感情や思い出が去ったあと。
ようやく当事者の声が取り上げられる時代の流れになってきたんだなと感動している。
とはいえ、当事者もその家族も、その葛藤、苦しみは想像を絶する。
(ふだんからありのままを大切に生きている方は、認知症もありのままに受け入れ生きていらっしゃる)
そしてそこを乗り越え到達するのは、ただ単に生きるということ。
生きるということに目覚める。
書くとかっこよく見えるかもしれないけれども
ただただひたすら泥臭い。
 
ひとりで生きているつもりでも、人はひとりではなく。
生きたいように生きることができるという希望を知ること。
エゴの塊を捨て純粋な感情に従う無常。
 
 
自分も自分以外の愛する人を苦しめるのはエゴ。
エゴを捨て去ったとき、真の愛があふれだす。
 
そんな境地を書きたくなるのは、これまでの経験ゆえ。
何も知らずにあの番組を見た人は、怖さしか感じないかもしれない。
でも、そうじゃない。
 
ひとつひとつの経験と感情を味わいながら、1日1日を生きながら体得すること。
エゴを捨て、純粋な今の自分で生きること。
今の自分を包み隠さず明らかにすること。
どんなにつらくても
途中で倒れても
生きている限り生き続けること
それを無条件に受容する器を作ること
 
そうやって生きることを学んできた私が今ここにいる。
まだブログに書いていないことがたくさんある気がします。
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松元佳子