しつこいくらいに過去の振り返りをしている(笑)
ここにお付き合いいただいている方々は辟易していることだろう(笑)
それはわかっていて書いている。
理由はある。
なぜって、人ってある日突然「あーそっか!」となるけれども、実はそこまでの日々の小さな小さなすぐに忘れてしまうような気づきが山積して、すべてがバーッとつながった瞬間にそうなるわけ。
その過程を忘れて、そんなことはなかったように、「突然わかった!ピンときた!」という。
でも実際はそうじゃない。
その過程は誰にもある。
私は、それが知りたかった。
だから書いている。
 
と、私は書きたかったのだ!(笑)
この気持ち?理由?がハッキリしなくて言葉にできなくて、ずーっともやもやしていたのだ。
振り返りを何度も何度も書きながら。
ちょっとずつ進みながら。
そしてついに!やっと!書けた!
あーすっきりした!(笑)
 
さてさて。
続きを今日も書く(笑)
 
認知症両親が施設で暮らすようになって、
心理的にやっと親離れ
精神的に成長、熟成したい
ひとりでも生きていける力をつけたい
 
そんな風に思うようになったものの。
なにか間違っているような
なにか、もやもやぐるぐるするような
何かしていても違和感が付きまとっているような。
それは何だろう?
とにかくいろいろ試してみた。
 
占いやセラピー、カウンセリングなどを受けたり、学んだり。
そこでいったんは納得できるのだけれども、あとからあとから何かしら違和感が出てくる。
 
なんでだろう?
どういうことだろうか?
もっと掘り下げてみたい!
 
それで究極の振り返り、生まれたときの星の配置を読むというのにたどりつき。
それは占うというよりは、答え合わせをしてみたいということで。
 
すると!
振り返りが深まって、違和感の正体が見えてきた。
これだと感じたものを受けて、学んだりしたわけだが、それを自分に落とし込む作業が必要だったというか、馴染むまで向き合う時間が必要だったというか。
 
やっと自分の化けの皮だか猫の着ぐるみだかを脱ぐ勇気がでた(んじゃないかな?!笑)。
そうするとスルスルと気づきが繋がってきた。
頭でわかっても心がついていかないとか、行動できないことがある。
私はとにかく行動してもなんだか空虚、それってどういうことなのか?ものすごく気になって。
そこを追及してみた。
 
学んだことを実践しながら丁寧に追及しひとつひとつ落とし込む。
合う、合わない、できる、できない、スムーズ、楽しい、嫌だ、好き、
そういう自分の感覚や感情を見極めていく。
その作業は時間がかかるし、しんどいけれども、その負荷以上の感動がある。
 
自分に感動しながら、
感動といっても、些細なことで、些細すぎてそんなことで感動する?!みたいな(笑)
感覚に落とし込むと日常になじんで、どう動きたいか、っていうのが徐々に素直に表現できるようになる(←今ココ)
 
占ったり、学んだり、癒されたりしたとしても、その時だけ納得しても人生変わらない。
闇雲に動いても結果がでないとなかったことになる。
そりゃいかん!もったいない!
 
そこに気づいて、自分にしっかり馴染ませる、落とし込む、自分のものにする。
自分が自分の言葉や何かで自分らしく表現できるまで。
ここで手を抜くと、元の木阿弥。
結局変われない、変わらない。
 
そんなことを感じる。
自分に明らかな答えが、手ごたえが得られるまで、諦めない。
その通りになるまで、しっかり自分を見る。
これからは、あんなことやそんなこともやっちゃうぞ!
という楽しみをいくつも用意できてわくわく。
楽しみだな~♪
 
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松元佳子