人生で経験していることに不満があった。
「人間関係」
 
とはいえ、それこそが生きている理由といえるだろう。
生まれてすぐに親や育ててくれる人々との人間関係が始まる。
そして承認欲求や自己肯定感といった自我が目覚める。
 
生きることは今生きていることを体験すること
生きることは自分の人間関係を全うすること
生きることは私の魂の学びであり成長させること
転生し続けるのは魂の成長のため
 
幼い子どものころから自己対話をし、頭の中でぐるぐるすることをノートに書いてきた。
 
ノートに書いたのは、自分が大人になったとき子どものころ抱いた人へのネガティブな感情を忘れないため。
 
書き綴ったのは思考ではなくその今今の感情。
感情が自分を育てることを奥底で知っていたのか?
無意識、無自覚。
 
私は子どものころから親子関係は破綻していると感じてきた。
自分の気持ちが親に伝わらないと感じていて、私の気持ちを聞き汲み取ることが親にはできないと決めつけた。
だからそれをノートに書き続けた。
 
そして今でも鮮明に覚えていること。
中学生のころ家族で食卓を囲んでいるとき、おそらく祖父の死で経験したあれこれを家族で話していたときだったのではないかと思う。
私は両親に宣言していた。
「私は両親の老後の面倒は見ないし、病気になっても看病しない。下のお世話は絶対にしたくない。」
両親はそのことに答えてくれた。
二人ともそれぞれ三姉妹を見ながら、
「自分たちの老後は子どもに迷惑をかけない。だから大丈夫だ。」
その両親の言葉に私は安堵した。
 
さてそれから。
私は、両親の希望にそって大学まで地元で家族と暮らした。
就職し自分の夢である一人暮らしを始めた20代。
しかし間もなく父が脳卒中で倒れ、その後母が若年性アルツハイマーの症状を発症する。
 
私は複雑な心境のまま、ようやく手に入れた自分だけの自由な暮らしと素敵な友人知人との交流と優しい恋人との生活を楽しもうともがいた。
家族と離れ、仕事をした土地も離れ、新しい土地で結婚生活が始まる。
それは、子どものころ思い描いていた小さな理想を叶えるような生活だった。
でも当時の私はそのことに意味にあまり気づいていない。
 
家族から離れても、私の中の家族や人間関係との葛藤はどす黒く渦巻いて、生きることが苦しいと感じることが多かったんだと今更自覚するのがこの20代。
そして時は訪れる。.
 
母の若年性アルツハイマーの症状がひどくなり、妹たちが生活に支障をきたすようになって、私は三姉妹の長女で、長女らしく育てられた私は、長女としての責任というものを強く強く顕在意識にも潜在意識にまで無意識に刷り込まれて育った。
結婚前、夫にそういう話をし、理解してもらっての結婚だった。
なんてありがたく素晴らしい夫に出会ったのだろう。
これまた今更ながら、感謝に堪えない。
そういうわけで、鹿児島に帰る決断をする。いよいよ30代。
 
けれども私は両親や妹たちのすぐ近くに住むのに抵抗があったらしい。
夫が転職を決めた会社は、実家のある薩摩半島の鹿児島市ではなく大隅半島の鹿屋市だった。
私の潜在意識を敏感に感じ取り、最適の行動をするのが夫の潜在意識らしい。
これも最近気づいた。
余談だが、ここ数年気づきが煩い私。
いままで人生爆睡していたのか?くらいの勢いでようやく目覚めたらしい。
(それが人生というものかもしれない、笑)
 
そうして私は私がいちばんやりたくないと宣言したことをすることになった40代。
驚愕!
なぜなんだ!?
 
人生の可能性にあふれた若く元気な時期に認知症両親の在宅介護で明け暮れ
「いちばんやりたくないことをやる」
をやりきってしまった。
 
人生とはわからないものだ(笑)
つまり私にとって「いちばんやりたくないことをやる」ことは人生での課題だった模様。
 
そして、認知症両親の在宅介護はブラックホールのように混とんとした日々で自己対話しながら過ごした。
 
両親が施設に入ってようやく、私に両親との日々を振り返り紐解く時間ができる。
この両親や家族と過ごしてきた時や出来事の意味を私は深く知りたかった。
それが自分にとって無意識に大切なことだと感じていたから。
 
表面的な欲で自分をごまかすのをやめ、自分の本質とは何かに向き合うことを選んだ。
選んだと気づいたのは昨年後半。
今年これまでにかけて、さらに深めている。
 
日々を丁寧に暮らしたいという願いが若いころからあり、それは何故か。
夫や家族との関係や、好きな人たち、気になる人たちへの自分の本心は何か。
自分を大切にするとはどういうことか。
日常の疑問、そのことを試行錯誤し、体験し、さらに対話を深め感じていく。
 
人間関係が自分を育てる。
だから不満や悩みになる。
だからありがたい。
 
そのことは自分に目覚めていくことで、生きているという事実。
自分の周りにいる人は、私がなぜ生きているかということを気づかせ成長させてくれる存在。
人は自分の鏡というのはそういうことか。
行き詰った時目の前のことに精一杯取り組むだけでいいというのは、つまり生きている私の今に結びつく無限螺旋ループ。
 
とにかく目の前のことに精一杯取り組む。
やりたいことにとことん取り組む。
ひとつひとつのことに感じる感情を自分の未来への指針にすると意識する。
感情も人生も振り子のように動くもの。
それを楽しむゆとりをもつ。
常に自己対話し、自分の現在地を確認。
今を生きる。
そして「できる、ある」世界に自分を置く。
そうすれば、残りの人生豊かになるのではないかしら。
 
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松元佳子