本日、義母の命日、忘れたくても忘れられない義父の骨折記念日(本人談)
 
仕事終わりの夫と義父の住むサ高住(サービス付き高齢者向け住宅の略)に10分ほど行きました。(マスク着用、検温、消毒)
義父が位牌を持ってきているので、義父と義母とご先祖さまのために、お線香とお供え物を持参。
 
義父、相変わらずのマシンガントーク。
喋りたくてうずうずしているのが、めっちゃわかりました(笑)
 
義父が自ら骨折記念日と命名している今日、五体力さんの御影授与のエピソードは義父にとって必須。
そういえば昔から夫の実家には、五体力尊御影がありました。
 
義父にとって非常に有難くなくてはならない御影のようです。
(なぜそこまで義父が五体力さんの御影にこだわるのか、まだ聞いたことはないので、次回会ったときに聞いてみよう)
 
話を戻そう
今から3年前の今日2月23日
義父はこの年、鹿児島にすでに来ており、五体力さんの御影授与と義母の命日の墓参りのため大阪に帰りました。
早朝から五体力さん(京都 醍醐寺)に出かけ、その後義母のお墓のある(京都 東山)に向かう予定だったのです。
義父は無事五体力さんの御影を受領し、京都駅につきました。
その京都駅の階段を踏み外し転倒、骨折したのでした。
眼鏡はすっ飛びかなり派手に転倒したようでしたが、周囲の声も耳に入らず、即座にタクシー乗り場に向かったようです。
そのまま、義母のお墓参りに向かいます。
本人いわく、その時痛みはあるけれどもお墓参りには行ける!と思ったそうです。
「あれは五体力さんのおかげやなぁ」くらいのことを義父は言っていました。
(・・・)
そうして東山のお墓の管理棟で尼さんに手厚く手当をしていただき、お参りをすませ、帰宅。
その後、義兄に連絡し、その後手術をともなう複雑骨折で入院リハビリが続いたのでした。
 
これが義父にとっては、もはや自慢話?!のように(笑)
その後から今もその骨折のせいで重い荷物がもてなくなり買い物サポートにさんざん振り回されていた私は何だったのか?(笑笑笑)
お義父さん、私のその過去のいろいろ返して~~~(笑)
最近も義父の重量物の買い物サポートは継続中ですが、私の心の整理ができたので、苦ではなくなり、もはや面白イベントと体調確認の機会です(笑)
 
前向きな(面白ネタの宝庫な)義父がいてくれること幸せです(笑)
帰り際義父に、「次はご飯食べに行こう!」と言われました。
まだ全然しゃべり足りなかったんだな(笑)
一瞬でしたが夫がかなり疲れて見えたのは、気のせいではなかったようです。
テレビをつけたとたん、眠っています(笑)
 
晩御飯はお義母さんの話をしながらいただきました。
今日も良き日でありました。
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松元佳子