当たり前のつまり季節の行事とか日々の生活上の習慣に縛られていませんか?
私はそれが苦しくて辛くて我慢に我慢を重ねていやいややっていました(笑)
どうしてもルーティンを淡々とできないタイプ(そういう自分だとやっと受け入れたwww)
そんな自分を知っていたけれど、できない自分を認めたくなくて完全無視(いじらしいwww)
当たり前、できてしかるべきな習慣が苦痛なタイプなんです、私(どんな告白www)
やってできるけど、でもそれが非常に苦痛。
自分の生きるパワーがどんどん消耗して自分が死んでいく感じ。
それを長女として無理やり躾けられて、抵抗することが無駄な労力と消耗を生むと理解し、自分を殺す努力でカバーして生きてきた。
今思えば大袈裟でなく深刻だった。
もうすでに笑い話だけどw
そうして当たり前、こうあるべきというのを全部やめて。
やりたいように起きて動いて食べて寝てをやってみて。
ココロとカラダの声に耳を澄ませてみたら。
結局自然と必要な当たり前はできるということを体得できました(笑)
つまり、
普通がなんの疑問もなく楽しみながら普通にできているならそれでいい。
普通を苦痛なのにそんな自分を顧みず続けると人として破綻するらしい。
そんな普通が苦痛の私は、自分と「それって本当に○○?」と対話し、実際に日常生活に落とし込んで実験し続け、自.分の様々なちょうどいいを探し続ける。
思い返してみれば
「やらされてる」という決めつけを手放せなかった。
だってみんなができる普通ができない自分て最低と自分が自分を責めていたから(ややこしいw)
それを長年繰り返していい人ぶっていた結果、認知症両親の在宅介護でじわじわ精神的にも身体的にも崩壊しながら思い知る。
「残念ながら、必要な体験だった。」
いや「残念」とか、どれだけプライド高い!(笑)
そのプライドこそ「残念」(笑)
「有り難い経験だった。」でしょ!私!!!(笑笑笑)
というところに現在は落ち着いている(笑)
ここにたどり着くまで、えらく遠回りしてしまった。
プライド、エゴは、どんどん捨てる!
捨てるというより、認識するかな。
当たり前や普通の習慣を「それって本当?」と疑って、やめて自由に生きてみるというのは、試してみるべき(笑)
自分と家族にその日常がなじむまで、そして自分の気持ちや思考の深堀がある程度できて(自分が自分で決めたルールやこうあるべき、周りから期待されその通りにしなければならないと信じ込んでしまったことを思い出す)「そういうことか!」となるまで続ける。
とにかく楽になるから。
無気力を何かほかのものでごまかしてさらに無気力になるのを手放して。
自然と心地よい自分になろう。
日々学び実験し自分と対話すると自分をより深く知ることができる。
厳しく律することで知ることを学び終えたら、次はもっと開放していこう(守破離)
自分という存在の煌めきを感じられるようになるかも。
真面目も不真面目、両方やってみると居心地のよい場所がわかった。
なんとまあ時間をかけたこと!(笑)
とはいえ人生は十人十色。
わたしはわたし、あなたはあなた。
今生きている。
ただそれだけ。
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松元佳子
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