施設暮らしの認知症両親との距離感が遠くなった2020年。
両親への愛情は変わらないし、深まったように思う。
知らず知らずのうちに親への依存が無数にあったことに気づいた一年でもあった。
むしろ親に依存されていると思っていたけれども、それと同じくらい、それ以上に自分が親に依存していたのだと思った。
このことは強制的に距離が離れたことで、振り返り自己認識を深めたことのひとつ。
 
認知症という病気を患うと、何か特別のような気がするし、実際特別扱いしてしまう。
しかし認知症という病気であっても、ひとりの人として尊厳を守られることで自立した人として一生活者になるのだなと実感がわいた一年でもあった。
 
特別扱いというのはざっくりいって差別行為。
わたしは普通、あなたは特別。
 
普通って何?
特別だから何?
 
そうやって違いを分けちゃうから生きづらくなっちゃうのだ。
みんな同じくらい違う。
そう思っておけばいい。
 
自分は普通だと思っている時点で、自分を異質な存在に仕立て上げてしまうのかも(笑)
 
生きているという意味で、認知症の両親と私になんら変わりない。
できることと、できないことがあるだけだ。
その差はできる自分を知っていると大きいのかもしれないけれど。
できない日常になってしまったら、それが日常なのだから、受け入れそれに順応するためにあらゆる工夫をして、生き心地を上げていくしかない。
残酷さもまた生きる上で避けられない経験。
なかなか認めたくないけれど(笑)
 
私が認知症両親のためにできることは、私の時間を快く使える分だけ一緒に過ごし、何か両親にとって心地よく感じることを手伝わせてもらうこと。親と暮らすこと、過ごすことは、仕事やノルマじゃない。共有。
 
お互い一緒にいる時間は育て合う時間で成長のために建設的であるほうが有意義。
そうでない時間の経験は、不幸だけれども何かとのバランスだろう。
淡々と過ごすというのは、経験を経験として受け流すということか?
 
そんなことを思う年末。
結局、両親とは面会できない年末年始。
笑顔の両親を思い浮かべ、両親が一瞬でも幸せを感じることができるよう祈るばかり。
私の胸にある安らかで穏やかになった暖かい感情(両親へのネガティブだった感情がかなり昇華された気がする)、愛を光にして父母それぞれに届け包むイメージで祈ろう。
 
今年もありがとう、父さん母さん。
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松元佳子