私が常に自分に問いかけてきたこと
なぜ生きているのか?
私の役割は何か?
この問いかけは、自己の本質を知るためのもの。

この問いがあったから、認知症両親や親族家族のしがらみから逃げることなく向き合ってきた。
このことは逃れられないことだった。
それが私を生きる本質=問いの答のひとつであったからなんだと今は感じる。

その答をさまざまな存在たちから伝えられていることに気づけた今年。
嬉しい1年になりました。

存在の多様性を知ること
輪廻転生の視点つまり宇宙の視点からみれば、理不尽に思える人生もバランスがとれていること
時間をかけて自己受容を学ぶこと
不完全な自分を愛し受け入れることの素晴らしさを知ること(完璧でなければならないという刷り込みを捨て成長し続ける今の姿の尊さを自覚していく)

自己探求は自己改革と自己受容
その過程を外的評価に依存、執着せず、自己評価、認識できるようになること
(あるがまの自分をを受け入れ愛するということ)

大きくみていけば、自分も周りの人間も不完全で成長途上
不完全な状態もまた成長過程にあっては完全であると知ること

自分の感情や感覚を素直に表現しながらその時の精一杯の自分を生きることで自己の本質を知っていく
家族や周囲とともに成長していく
それはつまりすべてはあるがままという受容について学ぶということ

認知症両親や家族とともに、私は自己や他者の受容について深く丁寧に変化の過程を学びながら生きてきたということ

生きるというのは、良し悪しではなく、経験。

深くしみじみ。

在宅介護や介護と向き合っている方々の人生の学びは、どんなに泥臭く理不尽に感じても、または悲しく儚く感じても、その経験こそが尊いもの。

苦しみ悲しみを経験することで、助けを求め助けられるありがたさを経験する。
ひとりではなく協力して生きる素晴らしさを実感する。
最終的には感謝や愛に気づくこと。
そういうことなんだろう、今を大切にしていこう、と感じるのでした。
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松元佳子