若いころの切なさと違ってw
程よい年齢になってくるといろいろと切なさを感じるものなのかな?と思います
今年は猫さまに出会うことが多い
出会うというと言葉選び
自分の気持ちが猫様に向かっているということ
日曜ハーブ園で猫様に誘われました
「ちょっと遊ばない?」
一緒に歩いたり
座ってなでなでさせてもらったり
写真を撮らせてもらったり
昨日その猫様の写真を眺めながら
なんだか切なさがどわ~っとわいてきて
何がこんなに切なさをわかせているのかしら?
と思い出してみると
幼稚園、小学校低学年のころ
住んでいた借家の大家さんちの白猫みーちゃんが浮かんできました
みーちゃんはとても賢い猫
大家のおばあちゃまはいつもみーちゃんのことをほめてかわいがっていました
私はよく一緒におばあちゃまとみーちゃんと過ごしました
おばあちゃまのお膝やお傍でみーちゃんは丸くなったり、びよーんと伸びていて
私はその傍らでおばあちゃまと一緒におやつを食べおしゃべり
冬は縁側でひなたぼっこしながら、
夏はうちわで涼をとりながら麦茶をいただいたり
井戸端や池や菜園の手入れをするおばあちゃまにみーちゃんと一緒について回ったり
おばあちゃまは物知り(生活の知恵)でいろんなことをお話してくれ、とても楽しかったことを覚えています
そうして三姉妹の長女の私はこの頃両親の愛情に一番飢えていた時期だと思いました
そのさみしさや孤独を癒してくれていたのが大家のおばあちゃまとみーちゃんでした
みーちゃんは毎朝我が家におはようの挨拶に来ていました
戸袋をがりがりしながら「みゃーん♡」とかわいく挨拶
我が家の朝食の残りもの、魚の骨をおねだりしてたなw
私が幼稚園や学校にいくときは門扉のあたりで見送ってくれて、帰ってくる時間には必ず門扉の定位置で待っていてくれました
「ただいま!」
「にゃぁ~んっ♡」
みーちゃんは人間の子どもの私にも深い愛情を注いでいてくれたんだな
「みーちゃん、ありがとう!」
思わず独り言(涙)
改めてみーちゃんとおばあちゃまに「ありがとう」と手を合わせるのでした
あたたかい愛情を注がれていた小さな私
しあわせものだな!
両親の愛情を渇望した子ども時代のわたし
でも本当は忙しく若く余裕のない両親のかわりに、周りにいた動物や大人たちにたくさん愛情を注がれていたのだと気づけるまでになりました(笑)
今度は私の番(笑)
切なさを教えてくれた猫様は、そんなことを思い出させてくれました
「ありがとう!」
みなさまはいかがですか?
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松元佳子
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