幼少期から、なぜだか人の精神的な成長に興味があります。
それと「なぜ私は生まれてきたのか?」
 
いろいろな方々のいろいろな本を読んだり、話を聞いては、自分で実験できるものは実験して確かめています。(実験好きw)
この手の実験は、かなり奥が深いし、いろいろ過去の傷を掘り返して大変でもあります。
負けないけど(笑)
勝負ではありませんが、自分と自分の根競べ(笑)
 
その中の一つが「魂の成長」というお話。
私としては信じるも信じないもなく、あるという前提で考え感じてみるというスタイルです。
 
では。
魂が生まれて、幼児から若年、成人、成熟などと段階的に成長し、最終的には集合体にもどるというのが「魂の成長」というお話。
魂が輪廻転生するのか、パラレルワールドで同時進行なのかはわかりませんが。
 
それを読んでいて、そういう風に考えるとなんだかいろいろひっくるめて納得するなというところがありました。
 
自分の本質はなんだろう?と向き合っていると、好みの傾向が見えてきます。
それが私はなんだか弱っちいな、という感じ。
例えばなんだか人よりパワーが弱い、闘争心、競争心に興味が薄いし欠ける、気にしすぎで弱いし、考えていることが複雑で周りの人にわかりやすく伝えにくい、とか。
 
魂の成長としてその段階をとらえるとするなら、共生、共感、自己認識、内面、目に見えない本質という非物質的な価値・学びの段階といえるらしい。
物質を超えたところにある「存在の本質」へと認識の幅を広げ、物質に囚われない価値という尺度で自分という存在を認識し評価していく。
目に見えない資質を磨く段階。
 
目に見えない資質とは、理解、共感、穏やかさ、優しさ、寛容、思いやり、知恵、愛、感謝などなど。
 
私が人生を振り返って学んできたことは、おおむね上記のそんなところに当てはまる気がする。
認知症両親の在宅介護では、特に寛容、知恵、愛がテーマだったよう。
それで、「私が生まれてきた意味ってそういうこと?!」と。
 
このことがとても自分にしっくり。
自己肯定感低めを自覚してきた身としては、「なんだそういうことか!」とごちゃごちゃ思考することなく、それで良かったんだと初めて正々堂々と私を肯定しきった感じがありました。
(おめでたい)
 
日々感情をナビゲーションにして、自分に向き合い、認め許したり、受け入れたりすることも大切ですが、それはクローズアップされた部分。
ずっとやり続けるのは、結構しんどい。
 
一方、「魂の成長」という視点は、全宇宙的視点(笑)。
日々のクローズアップした部分に俯瞰した見方を入れてみると、途端にすんなり受け入れられることがある。
両方あったらスムーズ。
「なかなかいいじゃない?!しめしめ(感動・笑)」
と気持ちが軽くなりましたとさ。
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松元佳子