24歳わたしの不思議体験を書いたブログ↓
 
このような実に信じられない体験をしたわたし。
そうしたら一気にそういうことに心酔しそうです。
けれども、そうはなりませんでした。
 
不思議な体験の本質に興味はあったし、お付き合いでというか大先輩の顔を立てる感じで、何回かワークショップに参加しました。
でも、なんか違う。
そうじゃない。
とわたしは感じました。
 
当時、そういうことはとてつもなく怪しいことで、知る人ぞ知る感じ。
人間関係やそこに集う人々の顔色、宗教的な儀式、不明瞭な会計。
実際その場で感じたのは、異様な雰囲気。
すがるような人、操られているような人、心酔して自分を見失っているように見える人、エゴのかたまりのような人、雑多なエネルギーが渦巻くような。
大先輩はそういうところをかいくぐり、必要としている人に届ける使命感があるようでした。
人に紹介する以上は慎重に人を選び、また不穏なトラブルが起きないよう常に自分と一緒のときだけ参加させていた様子。
 
わたしがいるべき場所ではない。
長居は無用。
その時だけの関係。
 
その不思議体験、どういうことだったのか?というと、おそらくですが、父に施されたのはスピリチュアル・ヒーリングに近いもので、ワークショップで教えられたのは、気功治療の初歩的なものだったように思います。
現在調べてみると何らかの情報を得ることはできるのですが、当時は人づてにしかわからないことで、感覚的で理論などは教えてもらえないものでした。
 
結構今振り返るとすごい不思議体験だと思うのですが、当時は必然なんだろうな、お役目というかお勤めというか、そんな気持ちでした。
なぜすんなり受け入れたのだろう?(笑)
本当に不思議。
 
不思議体験というのは、必要な人にはご縁が自然な流れでつながり、おこるようです。
この経験を振り返って感じたこと。
どんなに願っても叶わない願いはある。
叶う願いは、それと引き換えに対となる体験を伴うように思います。
そうして一番大切にしたいことは、ありふれた日常の今を慈しみ、感じ取ることができる自分を育むこと。
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松元佳子