叔父が亡くなった。
認知症両親に報告できていない。

これまで親族の死は、必ずすぐ両親に報告してきた。
認知症とはいえ両親はその事を一瞬ではあっても理解しているように感じていたから。

しかしこのコロナ禍。
もはや認知症両親には会えない。
残念。悲しい。切ない。と嘆いたところで現実は現実。
私は認知症両親の代理という役割からそろそろ精神的に卒業し、主体的に動く覚悟が据わってきた。

今年になって世の中の状況は確実に変化している。
そのなかで今私が強く感じるのは、人がどうこうというより(他人軸)、私がどう生きていきたいのか?(自分軸)を明確にしていくことが大切なんだろうということ。

自分のなかのふわふわした思いや曖昧にしてきたことをはっきりさせていかないとどんどん苦しく生きづらくなる気がした。
つまり、自分に素直に生きればいい。

自分に嘘をつかない、
自分の内側からわき出るものに素直になる、
そういうこと。

周りの人、特に家族に対して、自分の思いを素直に伝える。自分も相手も尊重する。
自分を大切にしている人は、人を傷つけたりしない。
だから素直になることを怖がらなくていい。

自分を偽ってきたり、自分を大切にできない人との関わり方は、私が自分のため慎重にルールを決めると良いように感じる。自己犠牲はなし。
自分の時間を無駄に悩み費やさないために。

叔父の死を両親はどう受け止めるだろうか?
両親のために私ができることは何か?
私はどうしたいのか?
叔父や叔母やいとこと過ごした日々を振り返り、叔父に思いを馳せてみる。

結局私は夫とともに叔父の通夜葬儀火葬まで見届けた。
私が大切にしたいと思ったことをその通り叶えることができた。
素直な思いは伝わって不思議なことに現実がするするとスムーズに動く。

自分を信じること(疑わないこと)は、人を信じること(疑わないこと)なんだと叔父に教わった気がした。
くよくよ考えて悩むくらいなら、したいことをしたいと言いすれば良い。
私がしたいことのやり方(手段)がわからない場合、私が疑うことなくそうできると決めたら勝手にできるようになっていく。
周りが私のしたいことを叶えてくれようとしてくれる。
すごい!

叔父の通夜や葬儀に多くの人が集まった。
それぞれの心のこもったお別れだった。
それは叔父のあり方生きざまの結果なのだろう。
なんて素敵なんだろう
なんて素晴らしいのだろう

叔父危篤の知らせを聞いてから、私のなかにたくさん心境の変化がおとずれた。
ずっとお見舞いに行きたかったけれど、それはできなかった。
そして叔母やいとこたちや支える人たちのおかげで、通夜葬儀に足を運ぶことができた。

できること(自由)
できないこと(制限)
そのなかで私にできることは何か?

私と向き合って相手の思いを聞いて素直に感じたことを汲み上げて行動する。
そこで人のあたたかさを知る。
自分がみたい景色を見せてもらえる。
そんなことを感じた。
叔父が教えてくれたことを大切にしていこう。
そうしてこの事を両親に伝えよう。
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松元佳子