認知症の家族を介護する家族のつらさ
それでもその先に希望を持って一歩踏み出したいと思っていた私。
「なぜそんなに苦しくて辛くていっぱいいっぱいだと愚痴ばかり言うのに、それでもなお家族の役に立とうとするの?バカ?!」
と言われたことがありました。
「でもね」と思います。
その苦しく辛い時にしかわからないことがあり、
その後
「ああそうだったのか!」
とわかったり、腑に落ちることがたくさんある。
自分が納得しないことは、手放せない。
厄介な自分。
(真面目で一本気という言い方もあるw)
その時その時感じたことは感じた通り、
自分の言葉でブログや日記に表現しておく。
誰になんと言われようと。
誰かに言われたことは、
自分に問いかける課題としてもいいし、
辛すぎるなら無視してしまえばいい。
記録して忘れよう!(笑)
その時私が相手に感じた
「ひどいこと言うんだな」
という感情は、今振り返ってみると
「なんだ愛情だったのか!」
と気づくこともあれば、やっぱり
「ひどいこと言われたな。」
ということももちろんある(笑)
そのときいっぱいいっぱいで思考停止していたとしても、後からその記録を読むとそこに「自分らしさ」や「自分軸」というのが見える。
今、苦しさ辛さで自分を見失っていると感じても、自分はちゃんとある。
ただ見えなくなるほど夢中で目の前のことに取り組んでいる自分がいるだけ。
目の前の一点に集中しているとき、周りの世界をちゃんと見ることができる余裕などない。
だからこそ今の自分を記録する。
記録は我に返るための必須アイテム。
この「記録」が一歩踏み出したい気持ちの葛藤と向き合うことであり、自分らしさを引き出し自由にしてくれる手段です。
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松元佳子
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