4年前のブログ。

このブログを読み返して感じたこと。

心理段階はスパイラルに発展していく。

どんどん先を目指そう。

心に浮かぶことは、肯定的に捉える。

否定しなければ大丈夫。

 

認知症両親を在宅介護していたとき。

「私なんで生きているんだろう?」

「私の人生って何だろう?」

という疑問に悩まされた。

苦しくなればなるほど。

辛くなればなるほど。

 

苦しく辛いのは。

・社会との関わりが薄くなる

・認知症両親の生活環境を整えるため分刻みのスケジュール

・いつ突発的な出来事に振り回されるかわからない不安

・いつ呼び出されても出かけられる万全の備え

・睡眠時間が取れない、眠れない

・自分の時間をとるために、たくさんの人に協力してもらう手はずを整える息苦しさ

書き出したらきりがない。

どんどん出てくる(笑)

 

でも私は、しっかりと覚悟を決めて選んだ。

認知症両親を介護するという人生を。

とはいえ。

覚悟を決めたつもりだっただけかも。

そうあればカッコイイという理想に浮かれただけかも。

 

結局。

二人の命を背負って(勝手に悲劇のヒロインぶって)、

苦しくなると、逃げ出したくなって、そのような疑問が沸き上がり、悩む。

まさに煩悩の世界。

 

それで今は。

私にはこの経験が必要だったんだろうな。

経験して終わりではなく。

何を経験したのか?

それは自分の中にどう落とし込まれたのか?

 

だいたい私の命は私にしか生きることができない。

親の命を背負うなんて、おこがましい。

親の命は親のもの。

私にできることは、少しのことだけ。

深刻に気負わなくたって大丈夫。

親の命は私が背負うのではなく、親の運命の流れに任せるもの。

親の命の逞しさを信頼すること。

 

そのうえで、私ができること、したいことを淡々とする。

「できたしこでよかと」

(できただけでよい)

懐かしい言葉を思い出した。

 

決して投げやりにしてよいということではない。

自分にできる精一杯で十分。

自分に隠し事はできないのだから。

ひとりひとりの人生、各々の結果。

さあ!まだ先がある。

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松元佳子