50代で脳卒中で倒れた父。
私にとっって父のイメージは、最悪でした。「憎悪」。
それもつい4-5年前まで。
根深い理由がいろいろあるので省略しまして(笑)
どうしてそんなに父が最悪「憎悪」だったのか?
父の在り方が、私にとって許せなかったから。
私は両親に幼少期から躾として、我慢や責任、あるべき姿を無限に求められました。
「三姉妹の長女、お姉ちゃんだから」私には憎悪の呪いの言葉となりました。
一方父は5人兄弟の第一子なのに、我慢も責任もなく親に守られ、家ではやりたい放題。
父はいつも自分の言いたいことは言い、やりたくないことは頑なにせず、自分を押し通すのです。
一方私はいつでも親から頭ごなし。
「こんな親に逆らっても無駄!自分を押し殺し良いお姉ちゃんを演じて早く独立しよう!」と思う小賢しい娘にさっとなって面倒な感情から逃げ出したのでした。
ところが。
親の呪いを憎しみ面倒な感情から逃げ出したつもりが潜在意識に刷り込まれ、良いお姉ちゃんの呪縛に苦しみながら、介護をする道を選んでしまう私。
「自由でいつも自分の思い通りな父」
「我慢ばかりの私」
さらに父への憎悪が増していく。
しかし。この憎悪の呪い「自由でいつも自分の思い通りな父」「我慢ばかりの私」は、私自身が自分で自分にかけていたんだとあるときから自覚しはじめ。
それを解くのに時間をかけることになりました。
潜在意識への感情の記憶の刷り込みの恐ろしさというか、しつこさはとんでもないものです。
わたしが一方的に感じていた憎悪の呪いですが、父親にしてみれば呪いではなく、その時々の父の素直な感情を私にぶつけていただけ(当たり前w)。
親子だというだけで、主観が暴走し感情的になり冷静さを欠いてしまった私。
父の愛情を呪いと思うくらいに。
子どもだった無力な私には仕方ないことだったのですよね。
こんな捻じ曲がった私も、ようやく父の在り方に気づきます。
親子でも家族でも「同じ」ではなくまるで「違う」人間。
家族は同じ環境にいるようでいて、そうでもないんだなと気づく。
ただ同じ家に住んでいるだけ(と書くとブリザードに直撃されるよう、凍る)。
それで私、父を赤の他人として見てみると、「結構すごいな~!」と思ったんです。
わたしは家族に対して我慢してばかりだったのに、父は全く我慢しないし、いつでも自分の主張を押し通す。
「この違いは何?」
試しに私も我慢をやめて言いたい放題言ってみたら「いいんじゃないか?」みたいなことを父に言われて脱力。
「バカバカ!私のバーカーーー!!!」
みたいなことに。
父は何も私に無理強いしておらず、ただ自分の欲求に忠実だっただけ(笑)
「ガーンッ!ガーンッ!ガーンッ!ガーンッ!ガーンッ!(エコーな感じ)」
父への憎悪は、尊敬にかわったのでした。
徐々に徐々に。
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松元佳子
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