義父からの要請で義父の伯母のグループホームに行ってきました。
実は義父からの要請というよりは、グループホームからの要請でした。
なのでグループホームの面会制限は続行中で、例外的な扱いです。

それにしても伯母と会うのは、何ヵ月ぶりかな?!今年2回目?!
痛いところはあるようでしたが、緩やかな下り坂を安定走行といった感じ。
義父との会話で伯母の状態を把握。
いつも通りの二人↓

私たち夫婦は、ふたりを見守るスタンス。
余計なことは言わない。
話しかけられたら答える。
ネガティブに話題を振られても、ポジティブ気味に肯定的に答える。
基本伯母に安心してもらえるよう思いやる。
すると伯母は調子が良ければすっと気持ちを切り替える。
伯母の調子が悪ければ、同じ話題をエンドレス。

そんなとき私は、伯母の話を聞いていると苦しくなるのですが、その苦しさを味わうことにしています。
どうして私はこの伯母の話を聞くと苦しくなるのだろうか?
それは私が伯母の人生に共感しすぎるから。
そりゃ伯母の嘆きも理解できる、仕方ないって思っても認めたくなくて嘆きたくなるよね、なんて。
それが私の人生に対するどこかの嘆きとリンクしたら苦しさが出てくる。

そうしてその苦しさは今どうにかできることなのか?と進めて考えてみる。
伯母の嘆きも、私の嘆きも、すんでしまったこと。
その時そうするしかなかったし、それを受け入れたから苦しかったんだな、と。

どうにかしようと思えばできたのか?
その時違う選択肢があったのか?選べたのか?
などと。
結局、やはりその時はこの結果を選ぶだろう。
それが精一杯だと納得する。
だから、苦しいんだと認めることができる。

自分にも伯母にもダメ出ししない。
ダメ出しするとネガティブの無限ループに落ちてしまうから。
それで良いことなんて何もない。
むしろ自分にも周りにも悪影響。

ならばダメ出しをやめて、あの時はそれが精一杯だったんだよ。よくやったよ。今なら違うやり方があると知ったから、もう大丈夫だよ。

こんな具合に、自分も周りも安心するような説明と言葉を選ぶ。
伯母や周りが納得しなくても、私が納得したらそれで良い。

そんな事実があった。
結果は嘆かわしく苦しいものでも、結果として成長したのだから成長を認めよう。喜ぼう。

そんなことを思い、好き勝手な言い合いをする義父と伯母をいつの間にかあたたかい気持ちで見守っている自分に気づいて嬉しくなった。

自分自身で自分の気持ちの理解が進むと、やみくもに悩んだり苦しさにうちひしがれたりしなくなる。
体験した事実を成長の糧にできる。
そうして、自分も人も可愛らしい存在なんだなと受け入れることができたら最高だ。
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松元佳子