昨日は母の誕生日。

会えない母の健康と幸せをそっと願いました。


さて。

両親の暮らす施設は、面会できるようになったとのこと。

今週末妹たちと予定を合わせて会いに行くのが目標。

両親はわたしたちのことを覚えているのか?
親に忘れられて悲しいという方の気持ちがわからなかくはないのですが、忘れられたらそれは仕方ないなと個人的には思っています。


なぜ仕方ないのは自分を振り返ってみれば、自ずとわかります。

今回長らく会えなかったのは、どうしようもないと私には思えるので。


以前、母方の祖母が認知症になり記憶の欠落が多くなってきたとき、久しぶりに会った私たち家族にこう言ったのです。


祖母:知っている人だということはわかるんだけど、名前が出てこないの。ごめんなさいねぇ。


その時の私はショックを受けるどころか、祖母の困りながらも一生懸命思いだそうとする表情に「ありがとう」と感謝の気持ちでした。

忘れられてショックだけれど、それもまたありだな、と思う。

なぜならそれまで、両親や妹たちとできるだけ祖母に会いに行く努力をしていたから。

お盆、正月、法事など。

かなりの努力をして両親を連れ、両親それぞれの実家に毎年行っていました。


自分ができることを常に考え、最大限努力し行動すれば、後悔や残念な思いは少なく、むしろ目の前の出来事に感謝の気持ちがわくのだと、教えられたことを実行しただけ。

それは祖父たちがよく私に話してくれていたことを心がけた結果でした。


そして祖母も自分も責めることなく自然に受け入れられた。

祖母に忘れられた私。

でも今まで積み重ねた思い出は変わらない。

逆にプライドの高い祖母の気持ちを思うと切ない気持ちに。


心の痛みや悲しみは、どうにもできないことややればできるかもしれないことをしなかったことで、大きくなりダメージとなることが多く大きいのだと改めて思います。これも祖父たちが言っていたことの受け売りですが。


認知症の両親を支えてこれたのは、祖父母をはじめ田舎のお年寄りの皆様の昔語りや昔話を胸に刻んでいたことのおかげだなと最近思うようになりました。すっかり忘れていたのですが(笑)

みなさまはいかがでしょうか?

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松元佳子