認知症両親に全力投球してきた私としては、その期間の大半(二〇余年w)を責任感と意地(笑)でやってきた自覚があります(笑)
いつ、お互い死んでも、後悔ないと思っていました。
が、ここ最近自制して両親と会わないでいると、「切ないな」と思っている自分に気づきました。
その「切なさ」とは?
両親は認知症ですが、きっとわからないなりに家族が誰も面会に来ないことは気づいているのではないかと思うのです。
過去わたしが2-3週間行けなかった後、両親に会ったとき。
父も母もじわじわと涙目になっていたのです。
「会いに来てくれて嬉しい。」
父は言い、母は優しくハグしてくれました。
両親にとって家族に会うことは楽しみであり安堵なんだろうと思います。
いつも待っていてくれる両親。
その両親に肌で安堵してもらえないやるせなさ。
できることをしていないような罪悪感。
そんな気持ちの数々からひとりよがりに両親に面会に行くことで、もしかしたら誰かを苦しめるかもしれない、殺すかもしれないという漠然とした怖れ。
そういった諸々の感覚がわたしの「切なさ」をうみだしています。
「切なさ」の向こう側にあるもの
それはズバリ「死への恐れ」。
日常「死」を意識することはほとんどありません。
しかし今回、無意識に「死」への恐れを感じているのだろうと思います。
「在宅介護が終わるのは両親の死を意味する。」ことを肌で感じていた私は、親を生かすも殺すも自分次第だと知りました。
現在、両親は施設暮らし。
自分のそばにいない両親が苦しみながら死ぬことを無意識に想像し、25年以上も頑張ったのにそんな時に会えないというのは、自分にとって重要なことだったんだと思い知ったこと。
悲しみや切なさで胸がいっぱいになりました。
どのように日々を過ごすのか?
できないことを嘆き切なさで自分を満たして、結果得るものはない。
むしろなにかしら失っていきそうです。
ならば今できることを精一杯やり、大切な人たちの日常のしあわせを願い、楽しめることにも打ち込んで、笑顔で日々を過ごすこと。
次に両親に会ったとき、こんなことがあったよ!とか頑張ったよ!とか面白かったよ!と笑顔でおしゃべりできたら最高です。
この人生はいちどだけ。
「切なさ」は忘れずに、「今」に集中する。
自分を大切にすること。
両親が生んでくれた私です。
それがいちばんの恩返しに違いない。
みなさまはいかがですか?
自分のネガティブな気持ちに蓋をせず、もうちょっとその先を感じて、それならどうする?を考えてみませんか?
個人的追記w
ケアマネージャーからの連絡によれば、両親は元気とのこと。
とても安堵しました♡
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松元佳子
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