認知症両親の在宅介護のつらさ、そのひとつは父の「しょうがないよ」の成り行きまかせ。
楽観主義でも悲観主義でもない。
父は、ただあるがままの状態をイライラしながらも顔を歪めながらも「しょうがないよ」と受け入れる。父ときたら、最初に抵抗がある場合は少し抵抗してみるものの、そのあとのあきらめの速さは恐ろしく早い。
私にしてみれば、いや妹たちも、
「え?なんで何もしないでそんなにすぐに諦められるの?!(怒)」
と父よりはるかにイライラする日々だった。
父は母の異常に気付いても成り行き任せ
母がアルツハイマーの症状が出始めた時期、受け入れがたいのは家族全員同じだった。
しかしそのあとだ。
父は、どうやら母の異常に気付いている。
けれども、何もしない。
母と話し合ったことはあるのだろうか?
この疑問を父になげかけたことはあったが、父は答えなかったか「しょうがないよ」と答えて終わりだった。
母の異常を病気ととらえていなかったのか、治す気がなかったのか、どうしていいかわからなかったのか?
三姉妹が母のことを父に対してどんなに騒ぎ立てても、黙って聞いて次第にイライラを募らせ「しょうがないよ」と吐き捨ててお終いというのがいつものパターン。
三姉妹が必死に食い下がっても「じゃあどうすればいいのか?」という父。
「なんで聞き返すの?」イライラする三姉妹。
頼りにならない父
まったく頼りにならない父。
家族の柱という責任感や決断力に欠ける父。
それは父の育ちにあり、父本人もそこに胡坐をかいて生きてきた。
結婚後は、しっかり者の母が一切を取り仕切って父をたてていた。
家族を支えていたのは母だった。
母の病気に向き合うときに父に相談したり、父の母の介護、父自身の体調管理や通院手術いったことにも寄り添ってきたわたし。
しかし父は自分で決めない無責任な父。
うまく行ったら自分の手柄、不本意な結果は人のせい。
父に何を期待しても仕方ない、わたしが覚悟を決めるしかなかった。
自分の本能だけに忠実な父
父ときたらどんな時も自分の本能の欲求は忠実に主張する。
何もしないし決めない父だが、本能の要求だけは強烈に主張する。
・カラダのどこかが痛いと大騒ぎ
・死ぬのは怖いと大騒ぎ
・まず僕を先にしろ!
・やりたいようにやらせろ!
などなど。
そのことに、三姉妹は苛立った。
それでも結局最後の最後に父は言う。
「しょうがないよ」
「しょうがないよ」で悟りの境地?!
わたしにとって父とは、これまで良い思い出がなかった。
子どものころは、父の気分次第の体罰で育ったし、なにかと「お姉ちゃんらしく!」と言われ反抗心しかなかった。
父に進路を相談すれば、「自分のことは自分で決めなさい。」という。
「この人と結婚したい」と彼を紹介したら「ああそうか。」という。
わたしにとって父はわけがわからないし、頼りにならないし、何といえばいいのやらだった(苦笑)
そうして、母のアルツハイマーのことは「僕は知らん。」と母の母の抗議に言う始末。
そのとばっちりは三姉妹とくに長女のわたしにきた。
そんなこんなで、父に憎しみさえ抱きつつ介護を続ける。
修羅場でも父の「しょうがないよ」が連発され。
その頃のわたしは自分が生きることさえ嫌気がさして。
もう父の命も母の命もどうなっても「しようがない」と、わたしは追い詰められ受け入れた。
そのときから父が便利に使っていた「しょうがないよ」は救いになったのかもしれない。
父が「しょうがないよ」と言えば「しょうがないよね」「しょうがないんだよ」と答えるように。
突然悟った気分になった(笑)
やることをやりきったと思ったら「しようがない」というのは、気分がいいものなんだなと思った。
というわけで、「しょうがないよ」の成り行き任せがわたしに浸透しつつある(笑)
悲観も楽観もなく、やることをやって「しょうがないよ、成り行きに任せよう」という心持ち。
今は父にとても感謝している。
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松元佳子
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