世の中、いつ何が起きて、どうなるのか?不透明な時代です。
 
認知症両親を在宅介護していたとき、もしもに備えて認知症両親の命について三姉妹で話し合ったり、夫と話し合ったりしていました。
命に優先順位をつけることは残酷だと思いながら、もしもの時、誰の命を優先するのか?という。
実際災害で避難するとなったとき、わたしひとりで認知症両親を連れて、備えをして、最寄りの避難所まで行くことは、災害の種類にもよりますが不可能に思われました。
地域の協力者があったとしても、協力者の命の重さを考えてしまいます。
 
実際その時になったら正直判断は変わるかもしれませんが、一応事前に自分たち三姉妹は両親の命や自分たちの命、協力者の命をどう考えるのか?という話をしたのです。
 
三姉妹の意見は一致しました。
それは三姉妹で協力して認知症両親の生活を支えてきた成果だったと思います。
三姉妹が同じように頑張って協力し苦労してこなければ、きっと意見は一致しなかったでしょう。
 
その親の命と自分の命、協力者の命についての意見が一致したことは、日常の介護生活に少しの安心を確実に与えていました。
 
私たち三姉妹のように認知症の親がどう生きたいのか?死にたいのか?わからないまま介護しなければならないとき、親の命の危機にその時一緒に居る三姉妹の誰かがどう動くかでその結果が変わるかもしれないという大きな責任を負います。どんな選択をしても後悔するかもしれません。そのために、予め話し合っておくことは大切です。
 
実際親の面倒を見ていない子は、見ている子に任せるという意見が多いと思うし、自然だと思うかもしれませんが、実際見ている子は責任の重さにストレスを感じています。
だってあなたは任せると言えば口先だけで済みますが、一緒にいるわたしは自分の命をかけなければならないかもしれず、もしかしたら地域の誰かの命も巻き込むかもしれない。
自分が死ぬか?親が死ぬか?一緒に死ぬのか?選択を迫られ覚悟を決めなければならない可能性があるのです。もちろん、一緒に助かって生きるというのもありますが。
 
そういうわけで。
重い話ではありますが、気になる方は、話しておくことをおすすめします。
それぞれの大切にするものや考え方を知る機会です。
わかり合えなくても、わかり合えないことがわかって良かったということです。
もちろん、結論が出て、家族の絆が深まればとてもしあわせです。
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松元佳子