認知症の介護がつらい と長年思っていた。
なぜつらいのかと言えば、親と自分に真正面から向き合わなければならないから。
逃げれば逃げるほどつらくなった。
つらいのは、親や自分の本心(気づいていることも、無意識なことも)から逃げている部分。
ならば、本当の自分は親のことをどう思っているのか?
親に寄り添いたいのか?
離れたいのか?
どのような距離感がいいのか?
仕方なくというのは、何が仕方なくなのか?
具体的には?
それは単なる言い訳を並べているだけで真の理由は他にあるのでは?
自分を知るのが怖くて、自分に向き合うことから逃げ続けた結果、からだが悲鳴をあげる。
結局わたしは、親から愛されていると自分が納得したかった。まったく自分が親から愛されている実感がなかったから。家族のなかでいつも孤独だった。
なのにいつも長女という役割だけを求めら、それが重すぎてイヤでイヤで仕方なかった。
長女としてしっかり者の家族のために誠心誠意尽くすだけのわたしではなく、ありのままのわたしを見てほしかった。(育ちのトラウマw)
親に尽くして尽くしてもうだめだ死にたい死んでくれと思うところまでいって、その後落ち着いてようやく。
自分と親は血が繋がっていても、全く違う人間なんだとストンとおちたときに、親は親なりにわたしを愛してくれていたんだなと。
親がわたしに長女としての役割を求めるのは仕方ないことだったんだなと腑に落ちた。
そうして、親から押し付けられた長女という役割がイヤなのに、それを隠れ蓑にして生きてきた自分に気づいた。
親の期待にこたえ愛情を得たかった。
だけど人の人生は親の期待にこたえ愛情を得るためだけにあるんじゃない。
自分を生きるためにある。
わたしは自分を生きてきただろうか?
何をすればわたしらしい生き方だろうか?
今、親はわたしの笑顔に微笑み、会えるだけで有り難い、ありがとうといってくれる。
わたしは親の笑顔を見ることが喜びで満足、生きていてくれてありがとう、大好きと素直に言える。
それはお互い自分に向き合った結果、尊重できる関係になったのだと思う。
介護のつらさは、自分に親に素直にコツコツと向き合い続けること、逃げないことだと思う。
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松元佳子
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