あなたは、家族の通院付き添いをしたことがあるだろうか?
そしてあなただけさりげなく診察室に呼ばれ、
医師や看護師から、
「ご本人に病名の告知をしてもいいですか?」
と聞かれたことがあるだろうか?
まさに1年前。
義父の精密検査に付き添い、
精密検査の病気の担当医とは別の科の医師に、
わたしだけさりげなく診察室に呼ばれ、
「ご本人に病名の告知をしてもいいですか?」
と唐突に言われたことを思い出した。
義理の父の病名告知と余命宣告を
嫁のわたしが先に聞くというのは、
ありうることとはいえ想定外だった。
夫や義父も想定していなかった。
だからわたしは、
本人に告知するかどうか聞いていなかった。
一瞬頭は真っ白になり思考停止、呼吸を忘れた。
ハッとして深呼吸し、
過去の記憶にそのような話を家族や本人としていなかったか?
と振り返る。
わたしは両親が認知症になって、
家族の通院に付き添うことが激増。
家族の話を流さずよく聞くようになった。
そういえば。
義父は義母(義父の妻)が
肺がんで余命宣告をされたとき、
義父自身は告知は受けたい
と言っていたような気がした。
現在義父の状況を考える。
息子ふたりとその嫁の家族のこと。
本人告知してもらっても大丈夫か?
わたしが本人に告知するかどうか
今決めなければならないというプレッシャーに
心臓はバクバクし震える思いだった。
小説やテレビドラマや映画のような出来事が、
突然目の前で起こった。
そしてわたしは思う。
「もう何回目か?!」
「なんで、どうして、いつもわたしなんだ!!!」
「落ち着け!わたし!!!」
動揺と興奮を必死に抑え、
今することを冷静に考える。
ひとまず医師と看護師に事実を伝える。
事実:
告知について家族で話し合ったことがない。
以前義母が肺がんで余命宣告されたとき、
義父本人は告知されたいと言っていたような気がする。
わたしは医師と看護師に事実を聞いてもらったことで、
覚悟が決まった。
義父自身に聞いてもらおう。
自分や家族の命のことは、
命に何かが起こるまで、
他人事なんだと思い知った出来事。
そして不意に他人事が自分事に代わり、
わたしに命の判断が委ねられた。
こんな恐ろしいことはない!
大げさな!
ともしもあなたが思うのなら、
あなたは今とてもしあわせなんです。
だからこそ、
こんなことがあるなら、
みんなが元気な今のうちに、
家族と話し合って
それぞれの今の気持ちや考えを
知っておいてほしい。
人の気持ちや考えは、
日に日に変化するもの。
機会を見逃さずあるごとに、
命の話を家族としておこう。
そしてわたしは、
母のことをもっと自分が子どものころから
聞いて知っておくべきだったと
以前は大きく後悔していたことを思う。
その思いは年月とともに癒され、
今のあるがままでいいんだとなった。
けれどそんな後悔はないほうがいい。
後悔はなるべく少ない方がいい。
すぐに忘れるくらいに。
だから今できることを後回しにしない。
そうすれば覚悟は自然とできるし、
いざというときに迷わず悩まなくて済む。
経験をいかせるとは有り難いものだ。
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松元佳子
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