若年性アルツハイマーを発症してから25年以上
現在要介護5の母
母は大叔母にとても可愛がられていたようにわたしは記憶している。
母が若かったころはもちろん、
大叔母は母がアルツハイマーになってからも気にかけて、
お盆やお正月、法事など親族で会う機会があると、
戸惑いながらも優しく的確な言葉で労わってくれた。
母も大叔母のことが好きだったと思うし、
わたしたち三姉妹も大好きで尊敬していた。
【母と祖母と大叔母のこと】
大叔母は祖母の妹にあたる。
祖母も大叔母もとても厳しい人だった。
祖母はとくに。
母は祖母にとって自分の娘なのに、
「長女なんだからもっとしっかりして!」
というようなお小言を四六時中口にしていた。
祖母が母をほめているところを見たことがない。
しかし母は私から厳しめにみても、
良妻賢母の鑑でしっかりものだった。
母が
どんなに頑張っても、
どんなに一生懸命でも、
祖母はいつも母に「もっと!もっと!」
と求めた。
母がアルツハイマーの症状を呈するようになって、
母の言動に異常があると気づいた祖母は、
とたんに母ではなく
母の兄弟姉妹やわたしたち姉妹に
「母はどうなっているの?なんとかしなさい!」
と厳しく小言をいうばかりだった。
わたしも妹も電話口で何度も叱られた。
怖かったし、悲しかった。
母にとってそんな祖母の厳しさを和らげてくれていたのが、
大叔母の存在だったのでは?とわたしは思っている。
母が大叔母と話をしているときは、
ちょっと嬉しそうな目をしていたような気がする。
母と大叔母には優しいこころの交流があったのだろう。
【母に大叔母の訃報を伝える】
さて日常生活では食事も排泄も何もかもに介助を必要とする母。
本当は自分でできることもあるのだが、
そこは相手の仕事や気持ちを汲んで任せるを良しとするということもあるし、
脳の機能スイッチのイレギュラーや
からだの痛みからくる不愉快スイッチがオンになると、
脳の暴走でことばや行動が暴力的になる。
そんな母ではあるが、
人のこころはすぐに読み取る。
嘘をついたり、うわべを取り繕っても、
すべて母は理解している。
大事なのでもう一度書くが、
母は相手のこころをすっかり読み取るが
脳の機能の異常があるから、
からだの痛みには抗えず、
その不愉快や違和感が、
ストレートにからだに現れる。
それが暴言や暴行動。
話をもどす。
母はわたしが大叔母の訃報を伝えると、
目の色が変わった。
単純に「大叔母が亡くなった」と伝えるわけではない。
わたしは母がどのくらい理解できるか確かめながら話をしている。
最初はわたしが母にとってどんなつながりの誰かを母の反応をみながら丁寧に説明する。
つまりコミュニケーションをスムーズにするための自己紹介。
「お母さん、わたし!よしこだよ?!」
このとき母がわたしと視線を合わせたら、
それは理解しているのサイン。
そうしたら母の手や腕や肩や背中や膝に(そのときもっとも良い感じる場所に)わたしの手のひらを優しく置く。
その手に愛情をこめて話をしながら、
そっとトントンと叩いたり、
優しくなでるようにさすったり。
そのとき視線が合わなかったら、
なにかからだの痛みでそれどころではない!
もしくは
わかっているけど意地悪している(会えなくて寂しかったからwとかwww)
といった感じだ。
わたしが誰かがわかったら、話を進める。
大叔母の名前を言ってみて、どういうつながりかを簡単に説明した。
母の背中に優しく置いた自分の手で
母のからだの緊張(筋肉のこわばりなど)を感じ取りながら、
「お母さん、○○叔母さん覚えてる?おばあちゃんの妹の。」
とわたしがいうと、
「うん」と頷く母。
母は理解している。
母の背中から私の手にひらに伝わる感覚で
母のからだがしっかりした感じがした。
母の目の焦点が定まり軽く頷いたからだ。
もしもこの時点で母が理解できていなければ、
母の場合は、視線が泳ぎ目の焦点は定まらない。
曖昧な表情を浮かべるか、無表情だ。
母はことばにできないけれども母の目が見開き、
「え?ほんとうなの?亡くなったの?」
とわたしに聞いていた。
母の背中に一瞬緊張が走り緩んだ。
わたしは母の背中を優しくさすりながら、
「○○叔母さん、亡くなったんだって。今日はお通夜、明日がお葬式だよ。お母さんを一緒に連れていけないけれど、お葬式に出席してお別れしてくるね。」
母は悲しそうな目をしていた。
不承不承頷いた。
たぶん母もお別れに行きたかったんだと思う。
でも母をお葬式に連れ出す労力をわたしは惜しんだ。
ただ連れ出すといっても、
支度は相応に必要だ。
喪服の準備、着替え、母の健康状態の把握、車移動中のケアなどなど。
準備と後片付け。
一緒に居る時間のケア。
それだけ集中したら、1週間寝込んで回復できるかどうか自分に自信がなかった。
以前何度も経験していたから。
そんなリスクをとる必要はないような気がしたとき、
いつか大叔父が言っていたことを思い出した。
「未来のない年寄りに金や時間は使わなくていい。未来ある子どものために使え!」
大叔父は大叔母の夫だ。
叔父さんに励まされた気がして、母への労力を惜しんだわたしの負い目を少しぬぐえた気がした。
母の親族は厳しい人が多い。
いかなる時も妥協を許さない。
妥協するくらいなら、行くものではない。
そういう人たちだ。
たぶん母もそこを理解して、
不承不承頷いたんだと思った。
「連れていけなくてごめんね!ありがとう、かあさん!」
背中の手から感謝を伝える。
そうしてわたしは母に約束した。
「詳しいことは今度報告するね!」
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松元佳子
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