旅のことばカードから私の話を書くブログシリーズです。
旅のことばとは?
 
カードの16から32は[家族のことば]です。
認知症両親と家族に寄り添ってきたわたしのことばを綴ります。
 
【チームリーダー17】
ひとりで抱え込まない。
 
ここから本文~~~~~~
認知症と診断された家族を、一番近くで支えることになりました。
そのとき
すべてを自分ひとりでやろうとすると、最初はなんとかなったとしても次第に心身ともに疲れ果ててしまいます。
そこで
自分のことを、サポート・チームの「リーダー」であると捉え、チームのメンバーを考えて体制を整えます。
ここまで~~~~~~~~
 
・若年性アルツハイマーだった母
25年前母の異変に最初に気づいたわたしは、母を一番近くで支えるんだろうなと漠然と思っていました。
そのとき
すべてを自分ひとりで抱え込んでしまいがちなわたしは、家族以外にわたしを支えてくれる人を探していました。
母を一番近くで支える自覚があったわたしは、結婚も将来両親の介護も了承してくれる人と一緒になりたかったのです。
有り難いことに理想のパートナーを得て、母の症状の進行に合わせて彼とともに2度引越し現在に至ります。
それは
自分が両親を支えるサポート・チームの「リーダー」であると無意識に刷り込まれた子どものころの躾があったからです。
わたしの三姉妹の長女としての役割は決まっていたし、逆らうことを考えてもできないとわたしの深層心理は悟っていたようです(笑)
本来サポート・チームのリーダーは父のはずですが、我が家は父が仕事以外では全く機能しておらず、母がすべてを仕切っていました。
父は母の異変に気づきながらも、まったく受け入れられない様子で、当初話になりませんでした。それは三姉妹の次女、三女にも言えましたが、次女はしばらくして母の現実を受け入れ、すぐにサポート・チームのメンバーになってくれました。
父と妹三女が母の現実を受け入れてメンバーになるのはしばらく後のことです。
母の発症からおよそ15年前後で介護保険制度を利用し始め、主治医が決まり、介護保険サービスのメンバーと両親の親族がメンバーとなりました。
 
・脳血管性認知症を発症した父
すでに母を支えるサポート・チームがあったので、認知症を発症した父のサポート・チームはスムーズに決まっていきました。
介護保険制度上、父と母のサポート・メンバーが異なること、メンバー変更はたびたびありました。
両親それぞれにふさわしいメンバーになるようケアマネージャーと連携して体制を必死に整えました。
 
なかなか思うようにいかないときもありましたが、ひとりではなく相談するメンバーが多数いたことでとても心強く、役割分担も出来ました。
おかげさまで現在25年目を両親となんとか迎えることができています。
Effect_20170603_073328.jpg
~~~~~~~~~~
松元佳子
☆facebook 
☆Instagram
☆Twitter