旅のことばカードから私の話を書くブログシリーズです。
旅のことばとは?
【ことばのギフト15】
「ありがとう」は、心に届くギフトになる。
本来なら父や母それぞれのことばを綴るものですが、父や母を見守ってきて感じたわたしのことばとして書き記してみます。
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家族やまわりの人に、いろいろな面で支えてもらっています。
そのとき
感謝の気持ちがあっても、思っているだけでは相手にはつたわりません。
そこで
感謝している気持ちは、ことばにして伝えるようにします。
~~~~~~ここまで
・若年性アルツハイマーだった母
若年性アルツハイマーだった母の病気を受け入れられない苦しみをそばで見てきました。
その病気を受け入れられない苦しみというのはわたしにとって、わからないようなよくわかるような複雑な感情を湧き上がらせるものでした。
わたしが母にしてあげられることを必死にやるしかない、ただ見守るということのつらさがありました。
けれど母は、いつも何かをしたら「ありがとう」と言ってくれる人だったし、母のこれまでの苦労に比べたらわたしが母を支えることなんてなんでもないことだと思えることがほとんどでした。
その人の在り方、つまり母の在り方に嫌らしさを感じなかったので、母にありがとうと言われると、素直に嬉しいといつも思っていました。
・脳血管性認知症を発症した父
父は口癖のように「ありがとう」という人です。
「ありがとう」の大安売りのように(笑)
しかし、父本人は本当に感謝して「ありがとう」と言っています。
ところが父との関係に一方的にネガティブな感情を持っていたわたしは、父の「ありがとう」に忌々しさを感じることばかりでした(笑)
父なんて「ありがとう」と言っておきさえすれば良いと思ってるだの、「ありがとう」といえば父は何もしなくても許されるだの、「ありがとう」の乱用じゃないか!だの思うわたし。
ことばのギフトがこころに届くかどうかは、相手と自分の関係次第。
わたしと父の関係。
わたしは一方的に父にネガティブな思いを抱き恨みつらみがありました。
わたしの恨みつらみは、子どもの頃父に受けた躾(と言いながら完全に真偽を確かめない決めつけで一方通行の感情に任せた八つ当たり)が原因です。
父は覚えていないくらいの出来事(父本人に確認したら覚えていないとのこと)ばかりですが、まだ小さかったわたしは日記にもこころにも刻み付けた許せない出来事の数々。
だから本来ならことばのギフトである「ありがとう」が逆にことばの暴力でした。
なんと大人げないわたし!(笑)
それを自覚したわたしは、恨みつらみを解放する努力をしました。
父と本音をぶつけ合う血みどろの親子喧嘩をしたということです(ちょっと盛りました・笑)
そのかいあって現在は父の「ありがとう」をことばのギフトとして受け取れるようになりました。
やはり父や母の感謝の気持ちは、ことばで聞くと嬉しいものです!
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松元佳子
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