旅のことばカードから私の話を書くブログシリーズです。
 
旅のことばとは?
 
【なじみの居場所9】
家族も知っている外出先をつくる。
 
旅のことばカード」の2から15までは、[本人]の旅のことばです。
本来なら父や母それぞれのことばを綴るものですが、父や母を見守ってきて感じたわたしのことばとして書き記してみます。
 
外に出るよりも家にいることが多くなりました。
 
・若年性アルツハイマーだった母
アルツハイマーの症状が出始めた初期から中期にかけて、母には家から出ないで欲しいと私は思っていました。
母は衝動的に不安や怖れでいわゆる「徘徊」をしてしまう人だったからです。
母にとって「なじみの居場所」はわたしの知る限りありませんでした。
母の実家でさえ「なじみの居場所」とは言えないところ。
祖母は、母の症状を受け入れることも思いやることもできない人でした。
きっと祖母のプライドや世間体が母の病気を許さなかったからでしょう。
いつも母にあれこれ指示し、自分の女中のように扱っていると私は感じていました。
母が友人と遊びに出かけるという姿をわたしは見たことがありません。
同窓会でさえ、出席していたかどうか?!
母は家族以外で交流の少ない人でした。
意図してそうしていたのか?そんな気がもともとなかったのか?今となってはわかりません。
「なじみの居場所」がなかったから、母は「徘徊」したのではないか?とさえ思います。
実際「徘徊」では世間のみなさまにお世話になったことは数知れず、警察のお世話に何回もなりました。
そこで、家族と一緒にストレス解消になるような外出をするようになりました。
母が好きかな?ということを数々やってみました。
昔の母を思い出して、家族旅行・ドライブ・温泉・ショッピング・日常のお散歩。
家族5人で一緒に過ごす時間は安心するようでした。
なじみの居場所がなければそのようなものをこれから作ればいいのです。
 
・脳血管性認知症を発症した父
父は母がデイサービスに通うようになると外出することが少なくなりました。
外出が少なくなると、麻痺が残っている右足の調子も悪くますます外出が億劫になり歩かなくなる悪循環。
そこでパワーリハビリ(運動が主体)のデイサービスに通うよう勧めたところ父が通うようになりました。
それ以外の外出は買い物くらい。
食べたいものを外食したり、趣味の本を買いにでかけたり。
車を運転せず足の悪い父の交通手段はタクシー。
認知症の病状が進行し父が外出先の建物で迷子になることが多くなると、外出はほとんどしなくなりました。
父が行く買い物先などは決まっていた様子で、優しい人たちに支えられ、外出自体はいつも楽しそうでした。
両親が一緒に買い物していた近所のコンビニや散歩のときに立ち話をした方々から、今でも私が会って立ち話をする機会があると、両親の消息を聞かれます。両親にとってなじみの場所や人がいたんだなと嬉しくなる瞬間です。
Effect_20170603_073328.jpg
~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~
松元佳子
☆facebook 
☆Instagram
☆Twitter