「旅のことばカード」の2から15までは、[本人]の旅のことばです。
本来なら父や母それぞれのことばを綴るものですが、父や母を見守ってきて感じたわたしのことばとして書き記してみます。
【旅への一歩2】
ともに生きる、新しい旅のはじまり。
1992年当時「認知症」ということばはなく、「若年性アルツハイマー」という病気のことを私も両親も知りませんでした。
日ごろの物忘れやまわりの人の指摘で、母は不安を強がることでぬぐおうと必死でした。
そのとき。
病院に行くのを恐れて、きちんとした診察を受けることを先延ばしにした母。
母の生き方とプライドが、当時精神科(鹿児島市内では心療内科や物忘れ外来など存在しませんでした)を受診することを拒み続け10年の年月を要しました。
そこで。
当時診察を受けることが、母らしく、家族とともに、よりよく生きるための≪新しい旅≫のはじまりだと捉えることができていたらと思うのです。そうすれば母はもっと楽に生きることができたのではないかと感じます。
そして、それは母だけでなく、家族にも≪新しい旅≫の準備ができるチャンスになったと思います。
・脳血管性認知症を発症した父
2008年ごろ、日ごろの物忘れやまわりの人の指摘で、もしかしたら認知症かもしれないと思うようになった父。
そのとき。
母の介護をしていた父は自覚がありましたが、診断をうけるのは怖いようでした。
そこで。
私は父の許可を得て、父の持病の受診に付き添い、主治医に認知症について相談しました。
その時から、それまでより父が前向きに自分の記憶と生活をスムーズに送ることに取り組み始めました。
そうではないこともたくさんありましたが、診察をうけることは前向きな変化の流れを作るのに父本人と家族にとって大事なことだと思います。
認知症に対してネガティブなイメージで落ち込むのが普通なんでしょうが、父の場合「しょうがなか!(仕方がない)」と受け流しというよりなげやり?な態度だったかもしれません。それでも、「だからこうしよう!」というアイデアが生まれるので診察で未来を見据えることができていたのです。
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松元佳子
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