延命措置の記事を読んで認知症の両親のことと、両親に対するトラウマに思い当たったので書いてみます。
私の両親は生きていますが、延命措置をするかどうかについて教えてくれていません。
なぜなら。
父は、父自身の死や死後についてあれこれ聞く私のことがわからないと言い、家族の死について語ることをタブー視する人なのです。
母には、聞くチャンスさえありませんでした。
若年性アルツハイマーになった母、その病気さえ受け入れられない母に、私は延命措置について聞くことができませんでした。
そして私もまた「若年性アルツハイマーという病気を受け入れられない母」を受け入れようと決心するまでの葛藤がありました。
父も妹たちも、母の病気に真剣に向き合うまでかなりの年月を要したのです。
私の祖母(母の母親)も母の病気を受け入れられない様子で、なおかつ世間体を気にした様子でした。
祖母は母のために母親らしいことを身をもってせず、長男の嫁や娘(母の妹)にあれこれ指示して私たちに母を病院に連れていけだの、母をなんとかしろだの指示を出すばかりで、母の病気の進行を責め協力はしてくれませんでした。
その後、私たちの説明で叔母たちには協力してもらえましたが、祖母は母と親子には思えないほどの距離感がありました。
延命措置について考えていたら、上記のようなことを思い出し、あの時必死に父や妹たちと話をし、祖母に説明し親族に説明したことを思い出し涙が溢れました。私は私がとても傷ついていたこと、それでも必死に頑張ったのに親族に口うるさく言われたことが悲しかったこと、そのとき決心したこと、父が現実を受け入れられなくて投げ出したことなどなどがとてもとても辛かった。
子どもの頃いつも「お姉ちゃんなんだから!」と問答無用でわたしだけ厳しい躾を受けたからこそ私に染みついたトラウマの一つがこれだったのだと思い当たり、ようやく手放せた瞬間でした。
結局両親の延命措置はしないということを三姉妹は何度も話し合っています。
しかし延命措置というのは、どこからが延命なのか?となかなか難しいもの。
母に至っては、すでに延命措置をしている状況です。
延命措置の塩梅は、今年も姉妹で話し合う重要テーマ。
両親にとっての「生きている」時間が少しでも安らかで気持ちのいいものであるように願うばかり。