昨年運転免許証の更新ができちゃっているという事実から、いまだに運転に自信しかない義父。
「自分だけは(もろもろ)大丈夫!」と自信満々な義父。
その根拠は義父は常に自分が実年齢より若いと言われることに慣れているため。
自分の真の姿を見ようとしない。
スーパーでカートを押す義父の姿は、腰の曲がったお爺ちゃんなのだが、自分は若い頃となにも変わっていないと信じ込んでいる。
義父自身が思う老いと、周囲が感じている義父の現実的な老いには大きな隔たりがある。
痛々しいほどに。
「歳の割には若い」とは残酷な言葉だと自覚しなくてはと思うw

義父が自身の運転能力を過信して運転することで社会に及ぼす影響を考えられない。
自分さえよければいいのだ。
自分のことさえ冷静にとらえられず被害者意識で家族を責める。

加齢によって生活が不自由になるということは、老いと寿命を受け入れていくという学びなのだろう。
なぜって車が必要なその場所に住み続けることを選ぶのも選ばないのも、その人自身が選択した結果だ。生きざまなのだ。
人はいつまでも若い時のままの自分であり続けると信じて疑わない。
けれども、常に自分はどう生きたいのか、死にたいのか、真剣に向き合うことは必要なのだ。

私は義父の背中を見続け見守り、私の老いに向き合おう。
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松元佳子
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