過去の日記をさかのぼってみると、2009年6月の私は母と二人でキッチンに立っていました。
妹たちが多忙だったので母とふたり父の日のお祝いの料理を作ったという記録。
日記によれば、「カルボナーラと鰆のホイル焼きとサラダ」とある。
すっかり忘れていた記憶を紐解いてみる。
私が買い物をし材料を揃え、母にお願いしながら材料の下準備と調理をし、手際よく料理していました。
母が出来ないことを気にしなくていいように、母が迷うことは全部一緒にやって、私が指示しなくても出来ることは母に任せて見守る。その分かかる時間は私が逆算してストレスを最小限に抑えている。
例えば、野菜は母に洗ってもらい、その野菜を私が切る。サラダ用とホイル焼き用の野菜を分け、サラダ用はお皿に盛りつけてもらう。その間に鰆を用意し、ホイルを並べ母と一緒に材料を入れてオーブンへ。次に母に麺をゆでてもらい、私はカルボナーラのベーコンを焼く。という具合。似たような作業を隣同士でおしゃべりしながら出来るようにする。
アルツハイマーの母は症状の進行は緩やかなので、出来ることはしてもらい出来ないことはできるようにフォローするというやり方。つまりお互いの存在を尊重しあう。このやり方を時間の余裕があるときに極力取り入れる。余裕がない時でも、母の仕事を全部取り上げるのではなく、出来ることを少しでもしてもらう。片道3時間弱もかけて実家に通っていたので時間は貴重だから全部私がやった方が早いのだけれども、それでは母の存在意義を奪ってしまうし、母の気力もなくなっていく。母よりは格段に私のストレスが大きいのだが、それは私の精神的な成長へとつながった。このことを続けてきたから、自分も人も尊重するということがどういうことか考えられるようになったし、待つことの意味や待てることの優しさも知ることができたのだ。
大事なのは、お互いが尊重しあえるという家族の基本の関係を忘れないこと。思い出すこと。