私の場合、悩みがとまらない、決められないのは、あると思いこんでいる責任から逃げ出したいから、誰かに依存したいから。
親の命の判断しなくちゃいけないと思い込んでいるから。
大げさでなく日々の私の両親に関わる決断が両親の寿命を決めていくから。
例えば歯科治療をするかしないか?口腔ケアをするかしないか?
大きく両親の寿命に影響を及ぼす可能性がある。
私にとって認知症両親の介護とはそういうこと。
「やだ~責任重大!無理~~~!」
といったところで、この現状は変わらない。
これはお役目というか私の人生そものものなんだろう。
だとしたら、私が決めていい。(いきなりの飛躍w)
これが私の人生ならば、認知症両親の介護は私の人生にあることなのだから、私が決めていい。
わたしはどう生きたいのか?
両親とどうかかわりたいのか?
一筋縄ではいかないから、私の人生の信念を決めればいい。
笑顔で楽しく大好きな人たちと優しく穏やかに生きる。
私の中の尽きることのない愛情を自分自身や大好きな人たちへ溢れさせ続けること。
だとしたら。
両親への私の愛情は、今のままで十分。
私がみたい両親の笑顔は会えば必ず見れるから。
私が父の手を握れば、父は「ありがとう」という。
私が母を抱きしめて私の愛を伝えれば、母は笑顔になる。
これ以上両親に何を求めるというのだろう。
あとは両親が「生きている」ということだけ。
それで私は大満足。
「有難う!お父さん!お母さん!」
感謝しかない♡
あとは、「生きている」両親に私が出来ることをするだけ。
両親が蓄えたお金を両親のために上手に使う。
「上手に」は私が工夫したいこと、できることをするという意味。
その範囲内で両親の生き心地を高める。
両親の蓄えが両親の寿命だととらえればラク。
結局お金がモノをいう現在という時代に生きているのだからそれは受け入れるということだろう。
私の生きている時間は私の自由だ。
私がしたいことに使えばいい。
自分の思い込みを手放して、よしよしと労わって、受け入れて、流れに任せる。
自分で立って自分に責任を持って決めて行動する。
そうすれば常に自由でいられる。
自分を縛っていたのは両親ではなく、自分自身。
誰も助けてくれないという前に、自分が自分を助ける!
悩みの根っこは何なのか?
決められないのはなぜなのか?
自問自答して書きだす。
書き続ける。
私はブログに、書き続けている。
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松元佳子
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