このところ自分のまわりを見渡して実感すること。
「幸せや不幸は自分次第 現状が不満な人は未来は間違いなく不幸」
嘆きはネガティブな泥沼への第一歩。
 
周りに高齢者が多いのです。
今年はいよいよ50歳なのだから当然(笑)
そして高齢者の動向に非常に興味があります。
それは、未来の自分を重ねるからかもしれません。
 
妹たちと歳の取り方について話していて気づいたのです。
こんなことを書くのはなんですが(笑)
わたしの祖母たちは若いころ、
まあまあ意地悪で目には目を!な人たちでした。
戦争という異常事態を子育てしながら生き抜いてきたのだから当然だと思います。
それが、連れ合いを亡くし、高齢になり、からだが不自由になるとともに、自然と人に優しくよく感謝の言葉を口にするようになりました。亡くなる数年前くらいからは、仏様かしら?ってほどに。
そして最近の両親もそんな感じ。優しく穏やかな笑顔で手を合わせながら「来てくれてありがとう!」なんて私たち娘に言うのです。
両親は現状に多少の不安や不満はあっても、おおむねしあわせで有り難いと思って生活しています。
 
一方、現状が不満な人。
歳をとって増々口が悪くなり、自分がいかに不幸か嘆く高齢者もいます。誰とはいえませんが。
そして幸せそうにみえる他人を羨ましがり妬みあらさがしをしては悪口をいう。
どんな状況になっても、その思考でいる限り未来は間違いなく不幸。
もう顔が意地悪。何かにとりつかれています。鬼の形相です。鬼さん、失礼!
 
そういう方々ですが。
私たち三姉妹からみれば、とても幸せだと思うのです。
例えば、世間様から立派と言われる職業につき常に勉強や修行を怠らず世間的な地位は高くいわゆる自慢の娘だったり、息子だったりがいたりする。そして忙しい合間をぬってほんの少しの時間親元を訪れる。自分の生活のサポートをする息子がおり、嫁は通院や見舞いに足しげく通い、親族にも挨拶をかかさず、子どもをつれて訪ねてくる。ところが高齢者本人は、周りの人に不平不満ばかり言い、感謝の言葉はない。
 
そりゃ嫌われるよね。不平不満を聞きたい人はいないし、人は感謝されたいもの。
全部理想と逆なんだな。
だから家族が疎遠になる。
嫌な人に会いたくないのは自然なこと。
そこに気づかないと!
自分が不幸の種をたくさんまいているのだから、収穫されるのは不幸の実ってこと。
 
そんなわけで。
こういう比較対象をたくさん見ることで、わたしと妹たちのしあわせのハードルというのは、どんどん低くなり、なくなりそうです(笑)
集って話ができて、良いことも悪いことも語り合い、どうしたら居心地よく過ごせるか相談できる環境は有り難い。
自分の幸せは自分が決めている。間違いありません。
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松元佳子
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