認知症の両親にとって、
ちょうどいい介護医療とは?
QOL(生活の質、命の質)を考える。
 
私の自問自答のテーマ。
両親に必要な医療とは何か?
どこまで必要なのか?
両親それぞれは、
どう生き、どう死にたいのか?
そのために生活上の介助は、
どこまで必要で、
要らないものはないのか?
 
これはひとそれぞれ違うこと。
わたしに両親の気持ちすべてがわかるわけではない。
だから例え両親が認知症でもいつも両親に質問する。
 
両親は認知症だからといってすべてのことがわからないのではない。
自分の命のことは、その生命力で理解しているに違いない。
「生きるんだよね?生きたいんだよね?」
母は頷く。
「頑張ってるんだよね?まだ頑張るんだよね?」
母は頷く。
その時母の瞳には力が宿っている。
 
父はどうだろう?
わたしが「死」に関する質問をすると、
父は「わからない。」という。
そういうことを聴く私のことを、
「理解できない。」という。
そんな父は、やっせんぼ丸出し。
ひねくれているところがある。
父が「もう死にたい!死んだ方がましだ!」
と言っても
「まだ死にたくない!元気に生きていたい!」
ということだから。
 
だから。
両親が病気になってその治療にいくつかの選択肢があるとき、悩むのはわたしだ。
決めることができない親の命の決断。
 
それとともに、その後の両親の人生を思う。
本当に生きて幸せなのだろうか?
どういう生活であれば苦痛が少なくすむのだろうか?
 
介護施設や病院で過ごす両親の残りの時間。
もしもわたしが父のような状態だったら?
もしもわたしが母のような状態だったら?
 
どんな時間もしあわせとは思えない。
ただ「死を待つ」そんな気がする。
 
言いたいことも言えず、
したいこともできない。
 
もしも苦痛で暴れたら、
身体拘束か
中枢神経にきく強い薬だろう。
 
生きているといえるのか?
 
ならば、もっと「両親の今」を少しでも彩りある生活にしたい。
そうして未来の不安を小さくすることを考えたい。
今の不安を出来るだけ取り除き、
わたしたち家族だけでなく、
施設でお世話をしてくださる方々と
笑顔で生活できる工夫はできないか?
 
わたしにできることは?
もっと掘り下げて考えてみよう。
両親に合ったQOL(生活の質、命の質)を。
 
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松元佳子
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