今回はちょっと昔の父の話。
脳卒中の後遺症があった父は、
右足を引きずる動作がひどくなり、
外出時の歩みは、
よちよち歩きの赤ちゃんよりも、
遅くなっていきました。
横断歩道を青信号のうちに
渡ることができないほど。
なので運転手をじっと見つめて手をあげ、
すみませんポーズで渡る。
一緒に外出するときの私は、
ひやひやがとまらないし、
ずっとそのよちよちもよちよちな歩きの父の後ろを
ハラハラしながらずっと見守って歩くため、
1週間分のエネルギーを全部使い切ってしまったのではないか?
というほど疲れていました。
そんな右足を引きずってよちよち歩くのに、
頑なに杖をつくことを拒否する頑固な父。
母が認知症対応型のデイサービスに行くようになると、
父までも認知の症状が出始めました。
母の世話に忙しい時は、しっかりしていたのに。
母がデイサービスに行きはじめ、
生活に余裕ができたとたん、
ごろごろテレビの前から動かない
だらだら生活が始まったからでした。
母の介護で疲弊していた父が一転。
まったく世の中うまくいかないもんだ!
と、当時拗ねた自分を思い出します(笑)
そこで、父にもデイサービスに行ってもらうことにしました。
体力面が心配だったため、
パワーリハビリのメニューがあるデイサービスへ。
パワーリハビリとはパワーリハビリテーションの略。
詳しくは下記のリンクをご覧ください。
その後、
認知の症状がひどくなってきて、
パワーリハビリのデイサービスの人間関係に
疲れた様子の父を見かねて、
父の楽しみ食事の美味しいデイサービスに移籍。
移籍するときは、
ケアマネに10件ほど紹介してもらい、
その中から父が気に入った数か所のデイサービスを
父と一緒に見学したり、父が体験したりしました。
その中から父が選んだデイサービスに移籍。
この見学から体験というのは、
できるだけたくさんした方がいいと
私個人は思います。
そして、そのデイサービスで。
父のお気に入りの食事は良かったのですが。
車椅子移動が多くなり、
(理由:職員が父の歩くスピードでは仕事にならないから)
父の認知症状がさらに悪化。
父もわがまま放題で、
おやつと食事の時間以外は、
寝て過ごすことが多くなったのです。
それに加えて、
ちょっと熱が上がったくらいで、
私に「お父様は微熱があるので迎えに来て病院に行ってください!」
(理由:ほかの利用者様に迷惑となるから)
としょっちゅう言われるようになりました。
実際微熱はありましたが、
問題にするほどでもなく、
ただ父の介助が大変だから嫌だったんだろうなと今では思います。
お風呂になかなか入れてもらえなかったり、
病院受診しても主治医からは問題ないと
いわれることがほとんどでしたから。
そこで次には、母の通う認知症対応型のデイサービスに。
ここでの父は母とともに、生き生きと過ごしていました。
このデイサービスに通っていた時期が私と妹たちの介護場面では一番大変で苦労が多かったのですが、両親はおそらくデイサービスでは相当幸せだったと思います。
両親にとってバランスはとれていたということ?!
そこのデイサービスでは働く方々の対応が自然体で素晴らしかった。認知症の方々への尊厳も私たち家族にまで、誠意をもって接してくださったのでした。家庭での対応と遜色ない対応ができるなんていやそれ以上で、家族としては嬉しかったです。当時はそれが当然だと思っていましたが、とんだ思い上がりでした(反省)。
というわけで。
一度デイサービスに入ったからといって、
ずっとそこでお世話にならなければならない、ということはありません。
症状に合わせて移籍もありだし、
なにより本人が居心地の良い場所を探して通い、
すこしでも楽しいとか笑顔がでるような時間があるといい思います。
お互いのしあわせのために、
大切な居場所や時間をしっかり確保する、
そんな時間は貴重です。
~~~~~~~~~~
~~~~~~~~~~
松元佳子
☆Instagram https://www.instagram.com/kosyokosyokosyo/
☆Twitter https://twitter.com/YoshikoMbpe