私たちがこれからしっかりと生きていくために避けるべきではないと思うことがある。
「子どもや孫の貴重な経験の機会を親の勝手な思い込みで奪わないで!」
親族の伝統行事やお葬式や法事があるならば、子どもや孫をぜひとも呼んでください、参加させてください、1度くらい。
その行事に最初から最後まで、フルコースで。
そして、昔話や言い伝えとともに、自分たちが歳をとって感じることや不都合や恐れなんかを正直に教えてください。
なぜ、私だってできれば参加したくもないこのような行事に参加させろと私が言うのか?
理由それは。
人の死を身近に感じ、生きていること、生かされていることを実感しなければならないし、それは伝えていく必要があることだと確信しているから。
それは誰のためでもなく、自分自身で感じて、覚えておくため。
特に、人の死をリアルに経験することは、怖いことで、トラウマさえうむこともあるけれども、自分もいつかは死ぬのだから。
その死への、自分の生への、想いは、自分にしかわからないものだから。
身近な死をいきなり体験するのは、ほんとうに残酷。
ならば、少しでも知っておくこと、体験しておくことで免疫を作ることができる。
話を聞いておくことで、光を見出せるかもしれない。
準備なしの過酷な体験を、面倒くさいけれども体験できるのならしておくといい。
その時、なにも感じなくても。
いつか「あの時」を思い出して、そういえばって思うかもしれない。
百聞は一見に如かず
自分が経験に助けられることがこの年齢になって多いから。
年上の方々は、話したがらないし、たとえ話しても若い人には伝わらないと思い込んでいたりする。余計な話をして若い人を困らせたくないとか、私さえ知っていればいいいから、などと言う。だけど、それを誰にも言わずにあなたが逝ってしまったら、あなたとともにあなたの経験は葬り去られ忘れられる。忘れていいことなどそうそうない。忘れてしまいたいことこそ向き合ってうまく伝えていかなければならないことではないのか?
~~~~~~~~~~
松元佳子