今の暮らしにどのくらい丁寧さがあるだろう?
認知症両親の介護をしながらたくさんのことを学んできたなと思う。
それは両親に口で説明されたことではなくて、その背中から学び取ってきたこと。
世の中の有名人に高額な費用を払って学ばなくても、両親や身近な人のそばにいても似たようなことはたくさん学べます、実は。
他人様から教えてもらって、それを自分に定着させるくらい日々の生活にいかせるようになるっていうのは、少なくないですか?例えば、あなたの今持っているその資格、暮らしにどのくらい定着してますか?
私が高校生の頃に抱いていた思いのひとつに、「ゆっくりと丁寧に暮らしてみたい。」というのがありました。
世の中の時間の感覚やスピードが早すぎてついていけないな~なんて思うことがあって。
社会人になってすぐに父が脳卒中で倒れ、その後母が若年性アルツハイマーを発症したのでゆるく母を、父や妹たちを見守り始めて。
だんだん症状がエスカレートしていくように思える母とその隣で母の現実を受け入れられず自分を押し通そうとしている父を見ていると、「こういう風にして社会から取り残されていくんだな~。」なんて。
今思えば、無意識にそんな風に思いこまされ世間の風潮にただ乗っかっていただけなんだなと思う。
そうして、話は思いっきり脱線するのだけど。
こんな風に取り残されていく両親、私たち姉妹を、
「誰も助けてくれない!」って思ってた。
だけど、今思い出してみると、
「誰か助けて!」って誰にもいってなかったんだよな~(笑)
そしてどこで誰に助けを求めていいかがわからないという(笑)
そもそも「こんなことも自分でなんとかできないなんて、どういうことだ!」くらい思ってたんだと思う。すごい思い上がりと矛盾だ(笑)
いや、それが若さというものだ(笑)
当時20代後半。
「いい大人じゃないか!」って!? あはは!!!
それで、若年性アルツハイマーの母と脳卒中から脳血管性認知症になった父とを見守り支え続けながら行きついたのが、昨日のブログの「ひとりずつ丁寧に」「ひとつずつ丁寧に」っていうことだった。
自分の頭で自分のことを考えて、しっかりと自分の感情を感じていかないと、なんとなく世間様に流されて自分の無意識を操作されちゃう。そして日々思い通りに行かない現実にイライラして不安や心配で目に見えないものにおびえなきゃならなくなる。
それで感情のままを相手にぶつけて、お互い大けが、大惨事。
バカげたことが繰り返される。
「なんでだろうな?」
って思ったとき、「丁寧にしてみたら?」って思ったんだ。
日々の生活や行動、時間やお金に追われて、いかに手抜きをして素早くして時間やお金を手に入れて、それでそれをわたしは一体何に使っているのか?って我に返った。
漠然となんだけど、丁寧にするって時間やお金の無駄使いだって思い込んじゃってた。
でも実際は、丁寧にしたら、時間やお金も大切にできて、そこから得られるのは充足感だった。自分だけでなく、相手も。
これが、自分の思っていた「ゆっくりと丁寧に暮らす」。
両親の介助することは、自分に丁寧に向き合うってこともあったんだってこと。
暮らしに気持ちも行動も丁寧さを取り入れたら、ゆとりができてきた。
すると空気が和やかになる。
わたしの今の暮らしは、丁寧な部分を多くしてこれまでのせかせかした生活で疲労困憊したこころとからだを労うことを大事にしている。
そして、今の忙しい暮らしにちょっと疲れている方は、大好きなことをひとつだけ丁寧にやってみてはいかがでしょう?気持ちが落ち着いて、ほっとするかもしれませんよ。
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松元佳子
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