認知症両親の介護をしてきて自分のやり方を突き詰めた結果 、「ひとりずつ丁寧に」「ひとつずつ丁寧に」が自分も相手も終着点としては満足できると思った。
それを学んだ経験は、両親の排泄に関わること。
私が一人で朝自分の排泄物でずぶ濡れの二人のお世話をするとき、両親のどちらを優先するか?はその時の状況次第で決めていた。その時、どちらも同時進行する、手順を少しずつ交代でする、ということは、なかった。どちらかだけを丁寧に、どちらかだけを手抜きで、なんてしなかった。二人は認知症という枠は同じだけれど、身体状況、その場の状況の理解度は異なる。だから、清拭から着替え終わるまでの過程や時間、その後のスケジュール(デイサービスへの送り出し)とそのための段取りの最短と最良を、自分の調子と技量から相手の体調や精神状態を瞬時に判断して選択していた。
ちょっとした判断ミスが1日のお互いの精神状態や作業効率を台無しにすることを経験したから。
どんなに急いでも、忙しくても、ひとりずつ丁寧に。作業もひとつずつ丁寧に。それが最短で最良だから。気を抜かない、抜けない日々の緊張感は今思うとゾッとする。
手抜きするところと絶対にしないところを厳格に守ることが、長期的に見て在宅介護を続けられるかどうかの分かれ目になる。
お互いの精神状態をなるべく穏やかに保つために、何をして何をしないか、絶対に無視してはならないときと無視しても大丈夫なときを見極めてゆとりを取り戻すこと。
そういうことの基本は、「ひとりずつ丁寧に」「ひとつずつ丁寧に」だった。今でも施設で両親に会うときはこの事を心掛けている。それが自分も相手も尊重できる私なりのやり方なのだ。
松元佳子
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