認知症両親の介護は大変ですが両親それぞれの親族とのお付き合いは、お正月とお盆などを中心にずっとやってきました。
親族同士のつながりは面倒なこともありますが、実はいいこともたくさんあります。
親族のデータというのは、健康面やメンタル面など参考にできる話が多いからです。
今日はそのつながりの中から、緑内障と物損事故の話を聞くことができました。
義父の緑内障の症状が末期状態で、家族は運転免許を返上してほしいと思っています。
が、本人にその気がありません。生活上死活問題だから。足がなくなるというのは、身体の一部がなくなるに等しいくらいの心理的なダメージがあると思います。
実際に高齢者が運転をやめると鬱になるリスクは2倍というデータもあるそうです。
では、緑内障の症状が運転にどのような形で現れるのか?
例えば左目の左側が上下に弧を描くように欠損していると、車の左側を脱輪したり、車の側面をこすってしまうということが起きます。
しかし、本人にはこれまでの経験や右目の視野があることから見えていると錯覚してしまうことも多いので、見えないことを否定し、車の運転をやめられないそうです。
このことから本人は見えているつもりでも、車の一定の箇所の破損などが確認できる場合、緑内障による視野欠損かもしれないと推測されるというわけです。
そういえば義父の車の破損部分は、見事に視野欠損の部分と一致します。
しかし両目でみることで、左が見えないのか、右が見えにくいのか、下が見えにくいのか、上が見にくいのか自覚するのは、実際に物損事故を数回起こしてからというのが多いようです。義父のように物損事故をおこしても認めない人もいるんですけれど。
ちなみに気になる方は緑内障専門医の受診をおすすめします。
40代以降から目の老化は顕著になり緑内障の自覚ができたときは、症状の後期にあたることが多いとのことでした。
さて義父。
昨日もまた運転すると豪語しておりました。
入院中の義父の叔母の介護をしているのですが、叔母が無事退院し施設入所したら、叔母と叔母の友人と義父との3人でドライブ旅行を楽しみにしていると話し始めました。
そのドライブ旅行のために、関西の自宅に置いてきた車を取りに帰るのをいつにするか?とか、叔母の荷物を車で運べば引越し費用が安くなるとか、それを手伝えとか。
自分の都合しか相変わらず考えられない義父。
どの話も夫ともども完全スルーしました。
どんなに義父が運転の話をしても一切相槌をうたないという強硬姿勢を打ち出してみる私たち。しばらく話が暴走したのち、言いたいことを言い終わったタイミングで話が終了。
義父の運転に対する執着は、自分のからだの一部に対するものと同じ。
いつもネガティブな出来事はポジティブな事へと記憶のすり替えをする義父の習性が現れていました。ネガティブな話は、自分にとって都合の良い部分はしっかり覚えているが、自分にとって都合の悪い部分はなかったことになっています。
こうなったら、義父も叔母とセットで施設に入るように仕向けたほうがまだ楽かも、な~んて思ってしまいました。
なぜなら、義父の私たちへの依存部分に変化が起こっているからです。
これまでは自分に必要なものは自分で探して買い物に行っていたのに、最近は自分に必要なものがどこに行ったら手に入るのかまず聞いてくるようになり、ついにそこに私たちが連れて行くのが当然のように話すようになったから。
これは私たちにとって都合がいいように思えますが、自主性が失われてきたともいえる事実。その点においては、外出するのが億劫になったということで自立した生活から遠のくことになりかねない危険をはらむわけです。
この塩梅をどうとらえどう対処するのか?
義父の性格を考えながら、少しずつあれこれ試さなくてはと思って実行中です。
あきらめずに丁寧に向き合っていくしかありません。
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松元佳子
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