自分の無意識に「できる人と思われたら終わりだ」というのがありました。
それを、ついさっきリアルに意識したところです。
なぜかそんなことをずっと思っていたので、実に中途半端なふわふわした自分だったんだなと思い当たりました。
「できる人と思われたい」と願う一方で、本当は「できる人と思われたら終わりだ」と思っていた自分が居た。衝撃です!
そもそも「できる人と思われたい」と思っていたい自分は、子どもの頃特に私に厳しかった両親や祖母たちに「認められたい」願望からでした。
無意識の私は、私の存在が認められることより、「思うままに自由に生きればいい」と思っていて、それは誰かに認められることではなく、自分が自分の思いだけで生きることができるんだと知っていたからなんだろうな。
それで、きっと私は「できる人と思われたい」という欲求の裏側に「できる人と思われたら終わりだ」という欲求をうみだしたのかもしれない。思いのバランスをとるため無意識で。
この学びのために、ずっと両親のそばで両親を見守る生き方をしてきたのかもしれない。
なぜって、両親は私が居なくても両親らしく生きることができるんだと認知症の両親の介護を私が付きっ切りで四六時中自分の時間を両親につぎ込みながら、その中で自覚していった気がするから。
人はひとりで自身の人生を生きぬくために、誰かとつながって経験を重ねながら、助け合ったりその逆もあったりしながら、自分という存在を自分で認めていくこと。
できるとか、できない、っていうのは他人の自分への評価でしかなくて、自分が自分でできるって思ったり知ることが生きてるってこと。
それは両親も同じ。
ま、次の瞬間にはまた違ったことを思っているに違いないけど。(笑)
なんとなく書いておきたかったので書いてみた。
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松元佳子
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