認知症両親の介護に対する自分の心構え。
「本気で徹底的にやる。」でした。
その自分の覚悟のせいで自分を追い詰めたことは数知れず。
そこまで自分が自分を追い詰めないように考えておくことは大切だなと思います。
世の中にはいろんな考えの人がいるので、
・本気で徹底的にやる
という人もいれば、
・生きてりゃまーいっか!
って気負わず淡々とする人もいれば、
・早く死んでくれ~~~!
って恨みがましい人もいるんですよね。
それは、両親それぞれの通院先の病院や薬局の待合室で耳を大きくして聞いてしまった話や親との移動中の交通機関でお隣の方やタクシーの運転手に聴いたりした話で感じたこと。
意外と近しい人間関係の中で、親の介護の話をしたくない人というのが多くてびっくりしました。職業柄、ご近所の手前、弱みを見せたくないとか理由はいろいろ。
オープンにできない、したくない人が多い。
親子という甘えとか親が人前では別人とかそのギャップに辟易するのが認知症の症状で、介護家族は案外そういうのに苦しみを感じていたりするので、知らない人にごもっともな話をされると余計な怒りを感じることも多く、ごもっとな要らぬアドバイスをしてくる人に限って介護経験がないという、ね。
そりゃ、余計な介護話で不愉快になりたくないから隠したいとも思う。
そりゃ、余計な介護話で不愉快になりたくないから隠したいとも思う。
ところで、大雑把に3つの心構えを書いたのは、その取り組み次第で親の寿命が若干かわるんだな、ということを実感したのが理由です。
命に対する捉え方で医療をどの程度まで受けるのか否かを真剣に考えること、とか。
いちばん大きいのは医療や介護にかかる経済的な理由ですが、その他にもいろいろな理由などがあるので、認知症の親の介護になった場合を想定して親側にも子側にも生きる自覚をもって検討しておく必要があると思うのです。
親が認知症になったら子が生き方を変えなければならないと思い込まないためにも、自分が認知症になったらどのような最後を迎えたいのか?今考えるのはつらいかもしれませんが、後々悩んで自分の希望とはかけ離れた最後を迎えるかもしれないよりはずっとましではないでしょうか?
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松元佳子
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