認知症両親に個人としての尊厳を忘れない
気持ちの在り方を自分に言い聞かせて
日々過ごしてきた。
気持ちの在り方を自分に言い聞かせて
日々過ごしてきた。
ボケた親を見下すとか、
ボケた親はどうせ何もわからないんだから
私が何もかも決めていいんだとか、
私自身は、それは違うと思う。
ボケた親はどうせ何もわからないんだから
私が何もかも決めていいんだとか、
私自身は、それは違うと思う。
日々の辛い生活の中で、
やっぱり見下すことも
結局責任をもって親の動向を決めることは
ある。
やっぱり見下すことも
結局責任をもって親の動向を決めることは
ある。
そんな時私が自分に問いかけることは、
私が親の立場だったら、
この私の言動は親にとって
どう感じるのだろうか?
この私の言動は親にとって
どう感じるのだろうか?
相手と自分を対等の立場で考える。
物理的にではなく、精神的に。
物理的にではなく、精神的に。
そして。
どんな時も相手に対して、
誠実さ謙虚さを思い出そう。
誠実さ謙虚さを思い出そう。
自分の苦しいだけの思いを
相手にむき出しで突き付けたくなるのは、
はてさてなんでだろう?
相手にむき出しで突き付けたくなるのは、
はてさてなんでだろう?
苦しい時ほど、
有頂天な時ほど、
自分に問いかける。
有頂天な時ほど、
自分に問いかける。
ただ闇雲に日々をやりくりするのは
ありきたり。
そこから、
自分はどう変わっていきたいか?
この思いを刻みつつ、
コツコツと少しずつ行動と思考を
積み上げていく。
ありきたり。
そこから、
自分はどう変わっていきたいか?
この思いを刻みつつ、
コツコツと少しずつ行動と思考を
積み上げていく。
そういうことを、
親が最後に人生の終いを教えてくれる
ことだととらえて。
親が最後に人生の終いを教えてくれる
ことだととらえて。
親の尊厳を守るというのは、
親のその歳まで自分が生きてみた時に
わかることだろう。
親のその歳まで自分が生きてみた時に
わかることだろう。
その時、
どうして私は?!
とか
どうして私ばかり!
と思ったら、
自分の胸に手をあてて聞いてみることだ。
全て自分が知っている。
親の尊厳を守るとは、
自分の尊厳を守ることでもある。
自分の在り方が
自分を幸せにも不幸にもする。
自分の尊厳を守ることでもある。
自分の在り方が
自分を幸せにも不幸にもする。
認知症の相手が何もわからないと
あなたが思うなら、
相手は何もわからない人で、
認知症の相手はすべてを分かっていると
あなたが思うなら、
相手はすべてをわかっている人だ。
それは、鏡のように。
あなたが思うなら、
相手は何もわからない人で、
認知症の相手はすべてを分かっていると
あなたが思うなら、
相手はすべてをわかっている人だ。
それは、鏡のように。
両親とともに過ごす時間に
私が見て感じてきたこと。
私が見て感じてきたこと。
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松元佳子
☆Twitterhttps://twitter.com/YoshikoMbpe