アルツハイマー型認知症の母。
いい思い出は思い出さなくて。
いつも昔のトラウマ、
怖い思いをした、
物凄く怒られた、
こうでなければならないと強く強く
刷り込まれた慣習、
大切なモノや大切な人を盗られた、
そんなようなネガティブな思い出ばかり
残っていて、
それを消化できずに、
ボケてしまったのではないかと
私は思っています。
いい思い出は思い出さなくて。
いつも昔のトラウマ、
怖い思いをした、
物凄く怒られた、
こうでなければならないと強く強く
刷り込まれた慣習、
大切なモノや大切な人を盗られた、
そんなようなネガティブな思い出ばかり
残っていて、
それを消化できずに、
ボケてしまったのではないかと
私は思っています。
母は突然不安や心配に取りつかれます。
不安や心配はひっきりなしに母を襲います。
それは、こころのうちの不安や心配
だけではなく、
からだのどこかの痛みや違和感も
不安や心配となって母を襲うのです。
不安や心配はひっきりなしに母を襲います。
それは、こころのうちの不安や心配
だけではなく、
からだのどこかの痛みや違和感も
不安や心配となって母を襲うのです。
そうすると、
母が安心できるまで、
消化できずに残った思いを、
繰り返し繰り返し延々と話し続けます。
母が安心できるまで、
消化できずに残った思いを、
繰り返し繰り返し延々と話し続けます。
そういうことは、
聞いていて本当に苦痛です。
聞いていて本当に苦痛です。
そのためには、
こころの不安や心配を取りのぞくような
アプローチを、
からだの痛みや違和感を取り除くような
アプローチを、
試みます。
こころの不安や心配を取りのぞくような
アプローチを、
からだの痛みや違和感を取り除くような
アプローチを、
試みます。
母に自分の全神経を集中させ、
かすかなサインも見逃さず、
ありとあらゆる方向から観察し考察、
とてつもなくエネルギーを使います。
かすかなサインも見逃さず、
ありとあらゆる方向から観察し考察、
とてつもなくエネルギーを使います。
そのために、
自分の在り方や相手の在り方も
常に観察して
エネルギーの消耗を最小限に、
けれどもお互いの安心を最大限に
引き出すよう努力し続ける。
自分の在り方や相手の在り方も
常に観察して
エネルギーの消耗を最小限に、
けれどもお互いの安心を最大限に
引き出すよう努力し続ける。
未だに集中していないと
母のサインを読み違えたり、
勘違いすることもあります。
母のサインを読み違えたり、
勘違いすることもあります。
認知症の介護では、
これまで自分が培ってきた
人生そのものが試されるのです。
試練しかない。
これまで自分が培ってきた
人生そのものが試されるのです。
試練しかない。
けれども、
一緒にそれを超えるとき、
最高の喜びが訪れる一瞬があります。
一緒にそれを超えるとき、
最高の喜びが訪れる一瞬があります。
私はこれからも母に私自身を試され続ける
のです。
のです。
それは母だけの安息への欲求を満たす
のではなく、
私自身をも満たしながら、
お互いの関係の中で見いだされる幸せの
かけらを探すようなものだと思う。
のではなく、
私自身をも満たしながら、
お互いの関係の中で見いだされる幸せの
かけらを探すようなものだと思う。
辛さや残酷さのなかにこそ、
生きてる理由があるのかもしれない。
生きてる理由があるのかもしれない。
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松元佳子