介護の先にある両親それぞれの死というもの
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「父の死」と「母の死」
そこにどんな違いがあるのか?
 
私から見て家族に対して、
常に自分を通し、
自由気ままに生きるように見える父、
いつ死んでも思い通り生きたのだから
いいじゃない。
 
一方母。
家族のために、
自分はいろんなことを我慢して尽くして
子育てが終わって、
父も退職して、
これから人生を楽しむんだろうなと
わたしは勝手に思っていて、
その矢先の病気。
可哀想。
私や家族のためにたくさん我慢して
尽くした分、
取り返してから死ななきゃおかしいよ!
 
そしてまだ20代のわたしは、
父に振り回されながら、
母にも振り回されるという、
なんでやねん!?生活が始まった。
 
「人に振り回されている!」
という自覚が芽生えたおかげで、
なんとそのほかの人たちにも
振り回されてしまうという波及効果を
実感した30代。
 
ということは。
これを自分に当てはめてみると。
母っぽい生き方の部分を
父っぽく修正しなくちゃだな。
とだんだん理解した40代。
 
「死」と「生」は常に表裏一体。
 
認知症の両親に寄り添って介護してきて
「死ぬために生きてる」のだから
「自分は死ぬときどう感じたいのか?」
という迷ったとき自分への問いが出来た。
 
それがあることで、
両親の生死を分けるかもしれない
命の選択を
わたしがかわりにしなければならない時
責任を持つ勇気になった。

誰もしたがらない決断を私がするとき、
私が責任をとれるのは、私自身にだけ。
だから、私が自分に問うのは、
その選択が自分の死が訪れた時に
後悔するのかどうかだけ。
後悔がなければそれでよい。
そう決めた。
そう決めたら、
なんでもチャレンジしてみるもんだ!
と軽い気持ちになってきて、
気楽に自分を楽しもうと思う。
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松元佳子
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