介護の先にある両親それぞれの死というもの
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母の死に思うことを中心に書いて
父の死に思うことを書いていなかった。

私の父に対する思いが
うすうすお気づきでしょうか?(笑)
 
父50代の働き盛りに脳卒中で入院、
職場を離れ数か月の入院生活と療養をし、
その後理解ある上司のおかげで
職場復帰し人並みに定年退職しました。
 
当時私はすでに就職しており、
自分自身には何の問題もないと
思っていたのです。
 
が、母にとっては大問題だった模様。
家のローンとか、
祖母たちのこととか家のこととか。
娘たちのこととか?
 
そんなことはお構いなし、
自分のことだけ常に考える父。
さすが!
 
いつも父は自分のことだけ考えて
わたしがどんな気持ちだとか
何を考えてるか
興味がないと思っていました。
なにせ幼少期に父の気分で
こっぴどく理不尽に躾と称し、
折檻されたことを
根に持っているわたしでしたから。
20そこそこの自分に親の気持ちなんぞ
わからんのですよ。
 
父、
実はいつ死んでもおかしくない爆弾を
脳内に抱えておりました。
それだから、どうかしよう!
と考える私ではなかった当時。
若かったというか青かった。
 
そんな父に死はなかなか訪れず、
かわりに母の死の音を聞いたのですよ。
不思議なものです。
父はいつ死んでもおかしくない、
といわれ、
それは「仕方ない」と思う自分。
だけど、母の病気から母の死を想うと
「母が可哀想」と思う自分。
 
どちらを先に見送ることになるんだろう?
そもそも祖母たちより両親は長生き
できるのだろうか?
両親が祖母たちより先に亡くなったら、
私たち姉妹にとって不都合なことは
あるのだろうか?
そんなことをぼんやり考えはじめました。
 
そうして「死」への妄想が広がる。
「人の死」、なんてやっかいなんだ!
人の死を見送ることは、
とてつもなく面倒なことなんだな。
死ぬために生きてるってなんて
滑稽なんだろう。
 
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何がなんだかな~。
ということで、
続きそうです、しばらく。
死を妄想しながら介護をしてきた私だったのか?
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松元佳子
☆認知症介護に関するお問合せ
メールアドレス:kakoma160228@gmail.com