長年両親の介護に向き合ってきて
私自身が究極に考えることは、
両親の「死」と私自身の「死」。
誰しもこの世のゴールは「死」。
 
生きてる今から「死」のことを考える
なんてという人もいるけれど、
それは我が家では父なのだけど、
「死」を考えずに生きることができる
ならそれはそれで幸せだとおもう。
 
私が親や自分の「死」について考える
ようになったのは、
生きてる自分が苦しくなった時。
小学生になったころには、「死」を
意識していた。
 
子どものころ感じた父方祖母の陰湿な
言葉や態度。
娘や孫に厳しく差別する母方の祖母。
自分の生き方にしか興味がないように
見えた父。
家族に尽くして自分がないように見える
母。
 
家を継ぐことが生きることの一義
として育った人たちの思いを重く
苦しく感じていた自分。
家を継ぐ長男の娘として生まれて
しまった自分。
妹たち。三姉妹。
長女の私に祖母は跡取りの男ではない
というのを
祖母と私が二人だけのときに
何度も何度も会うたびに語るのだった。
 
祖母たちの家というものに対する価値観、
女であるものが守らなければならない掟、
そんなものを常に植え付けられるようで
息苦しかった。
 
そんな祖母たちの育った時代背景を
思いやれるようになった今となっては、
仕方なかったと思うけど。
女として生まれた自分に無価値感が
あった。
 
その呪縛から逃れるきっかけは
母の若年性アルツハイマーだったなと
思う。
まだ20代で結婚前の私が、
母の病が若年性アルツハイマーでは
ないかと疑ったとき、
不治の病の母の死を思った。
 
当時の私の思いは。
人は死に対して無力だ。
死を想うというのは、
なんだか人生に負けたみたいな気がする。
どんなに頑張って美しく生きた母でも、
無常にこんな病になるんだと絶望も
感じた。

そんな母に自分は向き合えるだろうか?
家族は母の命に向き合るのだろうか?
母を受け止められるのだろうか?
疑問だらけで、
何もできる気がしなくて、
自分の人生が終わる気さえしてしまった。
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う~ん。
重いし、長くなりそうだから、
今日はこれでおしまい。
気が向いたら、次を書くかも。
で、ここまで読んだあなた。
どんな感想をお持ちですか?
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松元佳子
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