認知症両親の介護に片道2~3時間かけて
通っていた2008年夏。
私たち姉妹と介護サービスを利用して
まだまだ円滑に両親が二人で生活できた。

そんなある日想定外の父入院という出来事。
認知症状の高い母は父の介助なしでは
生活できない状況で、
認知症状の低い父は自分のことはぎりぎり
自分ででき、母の介助もなんとかできて
いたころのお話。
母を看ていた父が入院することになった。
 
教訓:
・もしもに備えて常に入院準備を
しておくこと。
自分も家族も負担軽減に大きく貢献。
・入院準備に必要な入院セットと自分が
いないと困るようなことへの指示書など。
母みたいに認知症の家族は自分(父)の
入院中どうするか?
ペットの世話は誰がするのか?
など。
 
父のもしもに備えていなかった当時、
過去の日記より振り返り。
ここから先は読みたい方だけどうぞ。
 
ここから~~~~~~
2008年8月27日
父、持病の喘息を診て頂いてる主治医の
病院で健康診断を受ける。
その健康診断で、
「前立腺に肥大がみられる」と診断。
診察室で先生に「紹介状を書くけど、
どこの泌尿器科に行く?」
って聞かれて、ポカーンとした父と私。
どこの泌尿器科がいいのかわからないし、
そもそもどこに泌尿器科があるか知らない。
考えて、
「父がいないと母の面倒を家族の誰かが
みなければならないし、父の付き添いが
必要なことを考えると、自宅(実家)
近くで交通の便利がよく信頼できる
先生がいらっしゃる泌尿器科が
いいのですが?!」
などとダメ元で言ってみる。
先生はしばらく考えて、
「前立腺といえば有名なN病院に行って
みる?自宅からも近いし、便利な場所に
あるよ?」
父がそれでいいというのでお願いする。
 
翌日。
母のデイサービスが休み。
病院が苦手で逃げ足の速い母を一緒に
連れて行くというおまけつき(苦行)の
父の初診に付き添う。
母を連れて、父の診察結果をちゃんと
聞くことができるのだろうか?
不安でいっぱい。
そこへ妹次女が息子とマイカーで来て、
送迎と母の相手と父の入院準備の
買い物に同行してくれた。
 
その日の父の診察はほぼ検査。
検査がすべて終わり、
結果を聞きに院長先生の診察室に入ると。
院長先生の宣言。
「9月3日に入院、
4日に手術(経尿道的前立腺切除術)、
1週間くらいで退院です」
「手術の説明をします。...以下略」
父も私も、
「そうなんですか、
よろしくお願いします」としか言えない
状況であっという間に終了。
その後、さらに手術前の検査、入院説明
があり、その後看護師から、
「紹介状があったので入院前にもう一度
主治医の病院に行ってきてください」と
封筒を渡され、「今日はおしまいです。
お疲れさまでした。」
チーン♪ものすごく一方的に終了。
父はそれでいいというのでそのまま退散。
ちなみにその病院は(当時)前立腺ガン
専門の泌尿器科で全国ランキングで
片手に入るということだった。
あんなに一方通行で?と思ったけど。
腕は確かなんでしょうねぇ、きっと。
 
この日私たちに付き合ってくれた妹次女
は、義母が今日病院で検査を受けて明日
入院ということだったらしいのだが。
彼女の夫が仕事を休めたから妹次女は
自分の親のほうに来てくれた次第。
有り難い。
 
実家にもどったら、
来週月曜からの段取りを決める。
・父のケアマネに一連の状況を報告。
・父のデイサービスに病状の連絡と
入院の報告。
・毎月通院している父の脳神経外科に
入院と通院日の変更などを連絡。
・母のケアマネに父の一連の状況を報告。
・母のデイサービスの責任者に送迎時間
の調整を日にち毎に細かく依頼。
(この時は両親それぞれの介護度の違い
からケアマネが別の事業所だった)
・入院準備に必要なものを整える。
・父の主治医の病院の予約を取り入院と
なった経過報告をする。
・姉妹での分担を決める。
 
~~~~~~ここまで。
健康診断で父が引っ掛かったのは想定内
だけど、その後手術入院を院長の判断で
患者の有無を言わさないゴリゴリの
日程決め。びっくりする。
母の介護のことや
父の入院付き添いや
手術日の付き添いや
って自分の体調やスケジュールガン無視
なんだから嫌になっちゃった。
このころ妹三女は両親のことに非協力的
だったので、この父の入院で散々嫌味を
いわれた私と父でした。(八つ当たり)
ストレスしかなかったよな~な思い出。
その後がまた大変でしたよ。
備えあれば憂いなし。
言うは易く行うは難し。
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