両親は子育てを終わった後
どんな人生を夢見ていたのだろう?
母が若年性アルツハイマーを
発症したのは子育てが終わった直後。
3人の娘を社会に送り出し
ホッとした時期だったはずだ。
まだ三姉妹の結婚があるだろうって?!
我が家は高校卒業時、
進学か結婚の費用の援助かの2択。
3姉妹は進学を選択。
だから三姉妹が就職したら
母は親稼業終了宣言。
3姉妹は進学就職し、
めでたく子育て終了。
わたしが就職した頃母から聞いていたのは。
「父が退職したら父の退職金で
マイホームのローンを繰り上げ返済。
そうしたらやっと楽になる。」
という話で、その先は聞いていない。
母はその後の人生に
どんな夢をもっていたのだろう?
それを聞いていなかったことが
わたしの最大の後悔。
父は聞かなくとも本能のままな人で、
基本したいことしかしないから、
まあそうなんだろうなって思った。
母がボケ始めたころに
聞けただろうと思うかもしれないが、
当時母に将来の話なんて
とても聞ける状態ではなかった。
ちょっとしたことを母に聞いても、
母は自分を取り繕うことに火死で、
話をすることができなかった。
それ以来、
三姉妹は話し合いをたくさんした。
・姉妹それぞれが昔母から聞いた話
・姉妹それぞれが元気な母としたかったこと
そして、できるだけのことを積極的にやった。
頼まれもしないのに、
自分たちをかなり犠牲にして。
それは父が自分からは何もしない
呆れるほど受け身な人だったから。
そんな父を説得して、
父の退職後は母と二人で旅行をしてもらった。
そんなようなことを母が言っていたから。
車を運転しない父のかわりに、
姉妹の誰かが運転して、
両親の田舎、
当時まだ元気だった祖母たちの住む家を訪ねる。
盆正月や法事など親族の行事に参加する。
そうやって常に両親をサポートした。
「きっと母だったらこうしたに違いない」と。
家や家族のことは母に頼り切っていた父。
母がボケて父は、
突然ほぼ何も知らない状態で
何もかも自分でしなくてはならなくなった。
しかし父。
家のことには関心がなく、
何もやってこなかったし、できない、知らない。
三姉妹から口うるさく責められる。
こうやって書いてみると、
そりゃ父も現実逃避したくなって
ボケちゃうよって気づく!(笑)
ところでわたしたち三姉妹、
わたしが実家を就職で離れるまでは
それぞれバラバラだった。
姉妹の仲は悪かった。
そんな三姉妹が仲良くなり始めたのは、
妹次女が結婚を考え始めたころ。
母のボケは日常生活に異常をきたし始めた。
三姉妹それぞれの将来と
両親の老後の面倒をどうするか
という話をするようになった。
三姉妹の長女として
家族をしっかり支えるよう
躾けられたわたしは、
しっかりそのレールに乗って行動。
妹たちの気持ちを聞きながら
両親を姉妹で支えるよう
まとめるのに苦心した。
受け入れ難い暗い自分たちの将来に
無意味に落ち込んだ当時。
わたしはやっと家から出て就職し自由になり、
楽しい夫と結婚し明るい未来を想像していた。
なのに!ひどい!
今思えば若く青い自分を笑う(笑)
そんな母や父のことを深刻に悩む暇があったら、
自分の夢を思い描いて
そのためにどうするか
具体的に考え実行していけばよかった。
なんで諦めちゃった!わたし?!
当時真剣にわたしの話を聞いてくれる人や
的確なアドバイスできる人に出会えなかった。
信頼できるアドバイスをしてくれる人に
出逢ったとして、わたしはちゃんと話を聞けたのか?
わたしは両親に長女としてわたしだけ厳しく
家族を守る義務を躾けられたのだから、
結局両親に寄り添う道を選んだろうな。
これまでの自分の人生を振り返って、
なかなか良かったと思っている。
大変だったけど。
思うようにいかないことばかりだったけど。
笑笑笑
というわけで。
親が元気なあなた。
いまのうちに両親の夢や将来や生き方死に方を
それとなく聞いたり、
自分の親としたいことをリストアップしたり、
お互い後悔しない程度には交流しておきましょう。
もうボケちゃった親と時間を過ごすことのあるあなたは、
お互いの思った未来や理想に近づくための
道探しを諦めないことをおすすめします。
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