夏の思い出、過去日記を振り返って。
まだ、アメブロを始める前の2011年7月28日。
以下日記より~~~~
2011年7月28日
救急車に乗りました。
母の付き添いです。
風邪をこじらせた母具合は下り坂でも、
とりあえずデイサービスに行けました。
しかし、
高熱がデイサービスで出て、
担当さんからお迎えの電話要請があったのが11時すぎ。
母を迎えにいくことに。
昨日鹿屋から鹿児島市内の実家近くに引っ越ししてきたばかり。
なので、引越荷物の荷ほどきと洗濯の途中。
汗だくすっぴんの小汚い格好。
着替えて化粧くらいする…暇があったら、
とにかく朝から何も食べてないから胃袋優先でぶっこむ。
荷ほどき中の旦那どのに出動願い、
両親それぞれに付き添える体制を整える。
救急車に乗りました。
母の付き添いです。
風邪をこじらせた母具合は下り坂でも、
とりあえずデイサービスに行けました。
しかし、
高熱がデイサービスで出て、
担当さんからお迎えの電話要請があったのが11時すぎ。
母を迎えにいくことに。
昨日鹿屋から鹿児島市内の実家近くに引っ越ししてきたばかり。
なので、引越荷物の荷ほどきと洗濯の途中。
汗だくすっぴんの小汚い格好。
着替えて化粧くらいする…暇があったら、
とにかく朝から何も食べてないから胃袋優先でぶっこむ。
荷ほどき中の旦那どのに出動願い、
両親それぞれに付き添える体制を整える。
私たちが胃袋を満たしてる間、デイサービスでは、
グループの内科の先生にすぐ診療していただける手配を
してくださっていて、ついでに具合の悪い父も診療に便乗。
グループの内科の先生にすぐ診療していただける手配を
してくださっていて、ついでに具合の悪い父も診療に便乗。
診察の結果、先生は母の主治医のいる総合病院に
電話で話をつけ、救急車を手配。
母の診断は肺炎で入院施設のある総合病院に搬送が必要。
私はもちろん母に付き添う。
父は旦那どのにお願いし、あとはお任せコース。
電話で話をつけ、救急車を手配。
母の診断は肺炎で入院施設のある総合病院に搬送が必要。
私はもちろん母に付き添う。
父は旦那どのにお願いし、あとはお任せコース。
救急車には病院の看護師さんが同乗してくださって、
救急隊員の聞き取りにわたしのかわりに答えてくださる。
助かった~~~。
その後母の検査が始まって、救命センターの職員との
最初のやり取りまで看護師さんが付き添ってくださって、
心強かった!
引越し決めたのも、両親の認知症の悪化に伴うものだったし、
これからの不安もあって、
自分が疲れてぐったりしてる時に、
話を聞いてくださって、慰めてくださって、
嬉しくて一瞬泣いちゃった…。
救急隊員の聞き取りにわたしのかわりに答えてくださる。
助かった~~~。
その後母の検査が始まって、救命センターの職員との
最初のやり取りまで看護師さんが付き添ってくださって、
心強かった!
引越し決めたのも、両親の認知症の悪化に伴うものだったし、
これからの不安もあって、
自分が疲れてぐったりしてる時に、
話を聞いてくださって、慰めてくださって、
嬉しくて一瞬泣いちゃった…。
ほっとしたところで、今度は書類の記入。
母はあらゆる検査、
わたしはあらゆる種類の書類特に同意書と格闘。
あらゆる種類?
既往症歴、服薬種類、家族の病歴、身長体重など基本事項、
食事に関するアレルギーと好き嫌いと食事形態(刻み食とか)
入院中のお約束事(一般)、医師と、看護師と、
認知症の症状による身体拘束に関するもの、
入院中のレンタル関連、
看護計画、とかなんとか、まだあったけど覚えてない。
とにかくメモ一式(病歴服薬などを記入)と
母はあらゆる検査、
わたしはあらゆる種類の書類特に同意書と格闘。
あらゆる種類?
既往症歴、服薬種類、家族の病歴、身長体重など基本事項、
食事に関するアレルギーと好き嫌いと食事形態(刻み食とか)
入院中のお約束事(一般)、医師と、看護師と、
認知症の症状による身体拘束に関するもの、
入院中のレンタル関連、
看護計画、とかなんとか、まだあったけど覚えてない。
とにかくメモ一式(病歴服薬などを記入)と
介護保険証、健康保険証、診察券、
自分と親の印鑑は持ってたからかなり助かった。
と思ったら、母の落ち着きがなくなって大変だからって
書類は後にしてくださいって言われて、検査室へ連行。
書類は後にしてくださいって言われて、検査室へ連行。
認知症で介護度が高いので、
救急病院では当然付き添いが必要。
チューブがいくつもついてる母は、
わたしがトイレさえも行く間もない付き添い具合で大変。
大慌てで昼ご飯食べて出かけて良かった…。
結局、病棟に移るとき普段手続きの一部は済ませる必要があるらしかったけど、
それも後回しで付き添いしてくださいって!
ま、したくても母がこんなじゃ出来ないけどね。
病院ってほんと人不足なんだろうな。
認知症の介護度が高いというので、
病室は大部屋を希望するも個室へ(大部屋料金で、ほっ!)。
結局その日の夜、ご飯も食べれず。
一睡もできず。
母、目を離した一瞬に、いろんなチューブを外すから。
すごく弱ってるはずなのに、
すごい力なんだなーーー。
何度かナースコールで付け直しがありました。
チューブが気になって興奮状態な母に、
ずっと優しくしゃべりかけて過ごしました。
その間、母は食事あるんですが、
食事介助しながらなんとか水分補給くらいしか自分はできず。
朝食は食べられず、昼に来た妹とパン一個を食べ、
入院に必要な買い物と後回しの手続きを交代で済ませ、
ようやくバトンタッチ出来たのが夕方5時。
明日は朝から父の通院付き添い、
肺炎球菌が出た…が入院は免れた父、いいのか?悪いのか?
その後、母の病院の徹夜の付き添いを交代。
引越荷物はしばらく放置決定。
妹と交代で24時間看護、いつまで続く?
実家では、安静療養中の父。
あ~~~~。
救急病院では当然付き添いが必要。
チューブがいくつもついてる母は、
わたしがトイレさえも行く間もない付き添い具合で大変。
大慌てで昼ご飯食べて出かけて良かった…。
結局、病棟に移るとき普段手続きの一部は済ませる必要があるらしかったけど、
それも後回しで付き添いしてくださいって!
ま、したくても母がこんなじゃ出来ないけどね。
病院ってほんと人不足なんだろうな。
認知症の介護度が高いというので、
病室は大部屋を希望するも個室へ(大部屋料金で、ほっ!)。
結局その日の夜、ご飯も食べれず。
一睡もできず。
母、目を離した一瞬に、いろんなチューブを外すから。
すごく弱ってるはずなのに、
すごい力なんだなーーー。
何度かナースコールで付け直しがありました。
チューブが気になって興奮状態な母に、
ずっと優しくしゃべりかけて過ごしました。
その間、母は食事あるんですが、
食事介助しながらなんとか水分補給くらいしか自分はできず。
朝食は食べられず、昼に来た妹とパン一個を食べ、
入院に必要な買い物と後回しの手続きを交代で済ませ、
ようやくバトンタッチ出来たのが夕方5時。
明日は朝から父の通院付き添い、
肺炎球菌が出た…が入院は免れた父、いいのか?悪いのか?
その後、母の病院の徹夜の付き添いを交代。
引越荷物はしばらく放置決定。
妹と交代で24時間看護、いつまで続く?
実家では、安静療養中の父。
あ~~~~。
~~~~~ここまで。
この時も必死だったな。
父は3日間毎日通院して、点滴注射。
その付き添いのときに、
自分も診察してもらって、
お薬もらってなんとか踏ん張れた。
父は3日間毎日通院して、点滴注射。
その付き添いのときに、
自分も診察してもらって、
お薬もらってなんとか踏ん張れた。
母の病院、父の病院、
実家で父のお世話。
引っ越したばかりの自宅は
段ボールのまま、押し入れに突っ込んで、
寝場所を確保。
あまり寝る暇もなかった。
実家で父のお世話。
引っ越したばかりの自宅は
段ボールのまま、押し入れに突っ込んで、
寝場所を確保。
あまり寝る暇もなかった。
両親が3姉妹にしてくれたおかげで、
なんとかこの苦難を乗り越えた。
一人だったら、どうなってたんだろうな~。
とにかく認知症の両親の健康管理こそが、
自分のささやかでありがたい幸せなんだと気づいた出来事。
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