以前、mixiで日記を書いていたとき頂いたコメントで、
自分がずっとざわざわしていた言葉がありました。、
「認知症両親の介護にどうしてそんなに一生懸命なの?」
ほんとになんでなんだろうな?
ずっと自分でもよくわからなくて、
ざわざわざわざわしていました。
ずっと自分でもよくわからなくて、
ざわざわざわざわしていました。
その時は、
「自分が死ぬときに後悔したくないから」
というような理由を書いた気がします。
そこは、今も変わらぬスタンスです。
でも、もっと他にも理由がある気がして。
「自分が死ぬときに後悔したくないから」
というような理由を書いた気がします。
そこは、今も変わらぬスタンスです。
でも、もっと他にも理由がある気がして。
昨日の祖母の初盆の法事に両親に付き添って、
やっぱり一生懸命力を尽くしたのですが、
その時思ったこと。
やっぱり一生懸命力を尽くしたのですが、
その時思ったこと。
両親に長女として厳しく躾けられ、
それが納得いかなくてぶつかったのにかわされて、
両親に絶望した学生時代を、
取り戻そうとしてたのかもしれない、とか。
それが納得いかなくてぶつかったのにかわされて、
両親に絶望した学生時代を、
取り戻そうとしてたのかもしれない、とか。
自分が自分の信じる両親とのかかわり方や
介護をすることで、
自分をを学びたいと思ったとか。
介護をすることで、
自分をを学びたいと思ったとか。
死にそうになったり、
殺しそうになっても、
真面目に突き進んで何が悪い!と思ったとか。
殺しそうになっても、
真面目に突き進んで何が悪い!と思ったとか。
適当に手を抜くって何?と反発心が噴き上がったりとか。
それで生きてる意味がわたしにあるの?とか。
それで生きてる意味がわたしにあるの?とか。
自分にも親にも親族にも誠実であることで、
徐々にそこに集うことの安心感を感じることが、
素晴らしいなと実感したりとか。
祖母が教えてくれたのは、こういうことだったのかな?とか。
一気に、すっきりした気分になった昨日。
徐々にそこに集うことの安心感を感じることが、
素晴らしいなと実感したりとか。
祖母が教えてくれたのは、こういうことだったのかな?とか。
一気に、すっきりした気分になった昨日。
やると決めたことは一生懸命真面目に取り組む。
自分に正直に。
それでいい。
だから、どんな時も大丈夫!
自分に正直に。
それでいい。
だから、どんな時も大丈夫!
ね?そうだよね?
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